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空襲の中心地となった辺り

『圧倒的な戦力と、残された十字架|岡山空襲・米軍側の記録』


 岡山市街地の約6割を焼き尽くした空襲。その中心となったのは、当時の最新鋭爆撃機「B-29」でした。学校の教科書でその名を知る方も多いでしょうが、岡山へ投入された戦力の具体像は、想像を絶するものでした。
 米軍資料に関しては日笠俊男さんが『米軍資料で語る岡山大空襲』という一冊にまとめられているので、そちらを参考にさせて頂きました。

岡山を襲った「超・空の要塞」の威力

 岡山空襲に投入されたのはB-29。現在も航空機メーカーとして世界に君臨するボーイング社が開発したこの機体は、当時「超空の要塞」と恐れられました
 投入された数は実に138機でした。

 そしてそのB-29じゃらこの夜の内に、岡山に降り注いだ爆弾(主に焼夷弾)の総重量は、約981.5米トンです。

 1米トンは約907kgなので、日本で用いられるメートル法に換算すると約890トンという膨大な量です。
 私には一つの爆弾がどれくらいの破壊力を持つのかは分かりませんが、それでも890トンなら、たとえそれがただの石ころだったとしても、絶大なダメージを与えていた事は想像に難くありません。

 この圧倒的な物量が、一夜にして岡山の街並みと、多くの尊い命を奪い去っていったのです。

反撃なき空と、宮浦の墜落機


 空襲時、岡山市北区浜には高射砲陣地が築かれていましたが、米軍の記録にも日本側の記録にも、有効な反撃が行われた形跡はほとんどありません。

 一方で、空襲の最中に一機のB-29が現在の岡山市南区宮浦(旧甲浦村)へ墜落しています。これは日本軍による撃墜ではなく、機体の不調によるものだったと伝えられています。
 実はB-29は高性能ゆえに故障も多い機種でした。硫黄島が占領された理由の一つには、こうした故障機の中継基地を確保する目的もあったといいます。

 現在、宮浦の墜落地点には、敵味方の別なく亡くなった搭乗員を弔う十字架が捧げられています。戦火を交えた過去を超え、命の尊さを静かに説き続けるその場所は、現代を生きる私たちが訪れるべき、大切な場所の一つと言えるでしょう。


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写真:『現在の市街地の様子(2005年撮影)』
写真提供:プランク様


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