3月2日-岡山後楽園の一般公開開始の日

3月2日-岡山後楽園の一般公開開始の日
写真提供:岡山県
3月2日-今日は何の日?

今日は1884年に岡山後楽園の一般公開が始まった日です。

写真提供:岡山県

厳密にいえば一般公開は1871年から始まっています。
しかし士族と平民は別の日であったり、男女が一緒に回る事が許されなかったりといった規制があるものでした。

池田家は自身の経済的な状況や、県が所有する事で公園が安定して維持・管理される事を希望して1884年に岡山県へ後楽園を譲渡しています。
現在のような形での一般公開は県の所有になってから始まりました。

土地は無償で建造物のみを有償での譲渡としており、掛かった費用は当時の金額で12,500円でした。

 

軍事施設後楽園?

岡山後楽園は岡山藩主・池田綱政が作った大名庭園です。
当時、諸国で大名庭園の造園が流行していた事や、大規模な干拓事業などで藩の財政が安定した事から作られました。

綱政の藩主としての評価は総じて芳しくなく、後楽園を築いたことも含めて愚者のように書かれる事もあります。
しかし後楽園には綱政を決してバカに出来ない軍事的な一面があるのではないかと考えられています。

当時、軍事施設の建造に関しては幕府が非常に目を見張らせており、新造が非常に難しい時代でした。
(武家諸法度:『新規ノ城郭構営ハ堅クコレヲ禁止ス。』)

写真提供:岡山県

そこで岡山後楽園は幕府に咎められない庭園の形をとりながら、有事の際には軍事目的で転用できるように作られていたのではないかとする説があります。

庭園の位置が城を防備するような位置にある事や、築堤に軍事的な技術が応用されている事などがその理由として挙げられます。
高梁市にある松連寺も同様の理由で、寺院を砦として用いられるように作られたと考えられています。

関連URL
岡山後楽園を学ぶ(明治時代以降)
松連寺




紹介

岡山県の地名の由来、郷土史を扱うWEBサイト・岡山の街角からを運営しています。 このブログでは今日は何の日?をお題に、岡山県の話題をご紹介しています。

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