備中松山城
詳細
■ 国指定:重要文化財、史跡
■ 別名:備中松山城
■ 所在地:高梁市内山下1
■ 建設:1240年
■ 営業時間:4~9月9:00~17:30、10~3月は16:30まで
■ 入場料:大人:300円(15歳以上)小中学生:150円
岡山にもあった!?松山城
松山城といえば愛媛県の城が真っ先に思い浮かぶという方も多いように思いますが、岡山県にも松山城があります。
愛媛の松山城にも負けない立派な城です。
天守閣が現役当時のまま現存する【現存天守】を持つ数少ない城の一つです。
更にその中では唯一の山城でもあります。
その立地から『天空の城』の異名も知られています。
通常は愛媛県の松山城と区別するためにかつての国名をつけて『備中松山城』と呼ばれています。
天守閣は見学が可能で、中にはお城に関する資料が展示されています。
城の概要
備中松山城は戦乱の時に築城され、その特徴がよく残されています。
所在地の臥牛山を山全体を要塞化した戦略的な城で、天守閣は頂上付近の標高430mという場所に築かれています。
勢いを削ぐ為に道に対して急角度に設置された大手門(跡)、武者窓などが見られます。
その立地は戦いの面では優れていたものの、険しい山を登って通うのも大変だったようです。
江戸時代には山の麓に普段の仕事をこなす為の御根小屋が建てられ、実質的にそちらが城の役割をこなしてきました。
天守閣が残された理由
明治時代に廃城令が出された際に、備中松山城は建物を棄却するように命じられました…が、実は御根小屋だけが撤去されて、天守閣はそのまま放置されました。
天守閣が残された理由として、山が険しくて撤去作業が面倒だった為という逸話も残っています。
改修工事の機運が高まるまで、長年に亘って天守閣は放置されました。
一時は城を訪れた詩人の与謝野晶子に『傷ましき城』と詠まれるまでに荒廃していましたが、現在は大幅な改修工事が行われており、小柄ながらも優美な往年の姿が復元されています。
大石内蔵助の逸話
1642年から城主を務めた水谷家が無嗣廃絶になった際、後に自らも忠臣蔵事件で改易の憂き目に遭う浅野家の大石内蔵助が改易後の事務手続きの為に訪れたというエピソードがあります。
その後、暫く滞在していきました。
場内に用意されている動画コーナーでは、大石内蔵助が松山城の家老・鶴見内蔵助と城の明け渡しについて会談する【二人内蔵助】が上映されています。
※コラムページにて、備中松山城を訪問した際の記録を紹介しています。