TOP>コラム>長島、ハンセン病療養所の島を歩く>4.患者桟橋と職員桟橋
患者桟橋と職員桟橋
2つの桟橋
先のページで紹介した光明学園跡を更に奥に進んでいくと2つの桟橋があります。これらは邑久光明園で用いられていた施設です。
校舎跡から向かうと手前側にあるのがこの患者桟橋です。
記事冒頭の写真で奥側に見えるのが職員桟橋です。
職員桟橋は主に職員の通勤などに使用されていた事が名称の由来ですが、厳密には患者桟橋が入所者専用で、職員桟橋は来客も含む全ての訪問者に対応します。
ここにも差別の痕跡が伺えます。
1975年頃には患者も職員も区別なく使用するようになりました。
1988年に邑久長島大橋が完成して以降は殆ど使われなくなったそうです。
訪問日は夕方から大雨の予報になっていたので、とりあえずここから長島愛生園歴史館へ移動します。なので光明園に関連する遺構は後半に回して、次ページからは長島愛生園関連の遺構を紹介していきます。
写真:桟橋
写真撮影:岡山の街角から
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