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光明学園と双葉寮
光明園
橋の辺りの散策を終えて愛生園の方に向かっていると、途中で左手に古めかしい木造の建物が見えます。
この建物は光明学園という学校の校舎です。
光明学園は入所者の子供たちの勉学のために開設されました。
当初は入所者が教師を務めていましたが、後に裳掛 小・中学校第三分校となり正式に教員免許を有した教師が教鞭をとるようになりました。
1962年に廃校になり、その後は畳工場として再活用されました。
現在は資料展示室に転用されています。訪問は2022年の新型コロナウイルス流行期であり、残念ながら展示室は休止中で中には入れませんでした。
窓からは室内の様子が伺えました。
資料によると物品の展示の他に夫婦舎の再現が行われているそうなので、もしかするとこの部屋そうなのかも知れません。
資料によると物品の展示の他に夫婦舎の再現が行われているそうなので、もしかするとこの部屋そうなのかも知れません。
双葉寮
光明学園の建物の前にもレトロな建物があります。
子供たちが暮らしていた双葉寮です。
ここで入所者が務める寮父母、その補佐である寮兄姉が世話を見ながらの共同生活が行われていました。
1962年の学校の廃校を受けて使用されなくなったそうです。
瀬戸内市のサイトの解説によると外観だけが残っていると記載があります。
訪問時、ドアの一部が開いていて中の様子が伺えたので写真を添付します。
確かに建物内部はかなり傷んでおり、人が入れる状態ではありません。
こちらは廃止後に再利用されることはなかったのでしょうか。私は建築物の事は素人なので断言は出来ませんが、この状態からの保存は容易ではなさそうです。
双葉寮跡については早めに訪問した方が良いかも知れません。
写真:光明学園跡、双葉寮跡
写真撮影:岡山の街角から
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