TOP>コラム>長島、ハンセン病療養所の島を歩く>13.監房
長島愛生園・監房跡
監房
回春寮から東に進んでいくと、監房が見えてきます。
冒頭の写真の建物がそれですが、最初に見た時は壁だけが残されているのだと思いました。
実際に見えているのは建物の周囲を囲む外壁の西側のみですが、厳密には外壁の他の部分やその中にある建物も残っています。使用されなくなった後に埋められて見えなくなっているのです。
これが現地の案内板に掲載されている監房の在りし日の姿です。
建物を外壁で覆うような作りになっており、逃走できないようにしていたのでしょう。
監房は規則違反のあった入所者が入れられました。
入っている間は食事が2食に制限され、更に治療も行われなかったそうです。
入所者たちが病気療養の為に来ていることを考えると、本末転倒であり得ない措置です。
尚、規則違反の中で最も多かったのは脱走だったそうです。
埋められた理由と、今後
監房は愛生園が出来た当初の1930年から1953年まで使用されました。
その後、1960~70年代にかけて埋め立てられました。この事には監房の建物を見たくないという入所者の意向もあったそうです。
しかし長島の各施設を保存しようという機運が高まっている今、監房についても埋めたままではなく活用すべきだという動きがあります。
それに伴い、埋められた建物の内部の調査が行われ、土砂に埋もれずに残っている部屋があることが確認されました。
建物の損傷も大きいことから全てを掘り起こすと逆に崩落のおそれがあるので、一部屋のみを掘り出し、見学用に供する計画が建てられています。
その後、1960~70年代にかけて埋め立てられました。この事には監房の建物を見たくないという入所者の意向もあったそうです。
しかし長島の各施設を保存しようという機運が高まっている今、監房についても埋めたままではなく活用すべきだという動きがあります。
それに伴い、埋められた建物の内部の調査が行われ、土砂に埋もれずに残っている部屋があることが確認されました。
建物の損傷も大きいことから全てを掘り起こすと逆に崩落のおそれがあるので、一部屋のみを掘り出し、見学用に供する計画が建てられています。
写真:監房跡の外壁
写真撮影:岡山の街角から
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