TOP>コラム>長島、ハンセン病療養所の島を歩く>12.収容所
長島愛生園・収容所(回春寮)
回春寮とは
先のページで紹介した収容桟橋から目と鼻の先、お互いに視認できる程度の距離の場所に「回春寮」と呼ばれる建物があります。
回春寮という呼び方は1952年からの呼び方で、それ以前は収容所と呼ばれていました。旧称の通り島に隔離されてきた人々が最初に収容される場所でした。
現地の案内看板の内容によると、桟橋からこちらに移動してきた人々はすぐに回春寮の中に入るわけではありません。
まずゴザの上に全ての所持品を出します。島への持ち込みが禁止されている物があるのでそれらを選別します。看板では懐中電灯、米、カメラ、そして現金が代表例として紹介されています。
それぞれに理由はあるのでしょうが、特に現金は意味深長です。これは案内板にも理由が書いてあり、脱走の防止の為でした。
園内では1948年まで「園内通用標」と呼ばれる島専用の通貨が用いられました。
禁止されていない持ち物は着衣と共に消毒してから戻されました。
内部の様子
建物の中に入ると番号札を持って上半身の写真撮影が行われます。
そしてその後で消毒風呂で全身の消毒が行われます。
この後、体の検診や病歴などの調査などが行われ、入所者はここで約1週間ほど滞在することになります。
内部はこのような様子です。
ベッドが一つだけ出されていますが、実際に稼働していた時は多くのベッドが並べられていたそうです。
内部はGoogleマップのストリートビューでも公開されているので、ぜひご自分の端末で散策してみて下さい。
そしてその後で消毒風呂で全身の消毒が行われます。
この後、体の検診や病歴などの調査などが行われ、入所者はここで約1週間ほど滞在することになります。
内部はこのような様子です。
ベッドが一つだけ出されていますが、実際に稼働していた時は多くのベッドが並べられていたそうです。
内部はGoogleマップのストリートビューでも公開されているので、ぜひご自分の端末で散策してみて下さい。
写真:回春寮、建物内部
写真撮影:岡山の街角から
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