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岡山城

実は私怨? 杉原重政殺人事件

杉原重政とは


 このコンテンツで「呪い殺された岡山城主!?」として紹介している小早川秀秋。
 関ヶ原の戦いにおいて西軍に参加しながら、途中で東軍に寝返る事で勝敗を決定づける活躍をしました。
 その戦功により合戦後に岡山藩に移封されました。

 しかし岡山城時代の秀秋には奇行と呼ばれるような不可思議な言動が目立ちます。
 合戦における裏切り行為への自責の念、周囲からの評判、アルコール依存症だった…など、原因には様々な説があります。
 
 初期にはその言動を諌めた家臣もいました。
 それが今回紹介する杉原重政です。小早川家の家臣で秀秋と共に岡山城に入ると藩政補佐を務めた人物です。

 しかし秀秋は諫言を聞き入れるどころか、逆に村山越中を差し向けて上意討ちにしてしまいました。
 …と、ここまでが重政の殺害についてよく知られているエピソードです。
 実はこの死には別の説も伝わっています。
 

異説、私怨説


 秀秋と重政は上意討ちが行われる前に和解したという説があります。
 しかし、それではなぜ上意討ちはそのまま行われてしまったのでしょう。
 
 重政と上意討ちを命じられた越中は不仲でした。
 越中も和解の事実は把握していましたが、彼してみれば上意討ちの命は重政を排除する好機です。
 そこで上意討ち中止の伝達が届く前に重政を斬る事で、私怨を晴らしたのです。

 余談ですが村山越中は後に重政の息子によって殺害されました。


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写真:イメージ画像


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