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結核

『三木行治が政治家を目指した理由』

最初は医師だった三木行治


 岡山市出身の三木行治は岡山県知事を3期と4期目の途中で急逝するまで務め上げ、桃太郎知事と呼ばれ県民に親しまれてきました。

 彼の経歴では厚生省の官僚から県知事に当選…というところがピックアップされがちですが、実はその前に医師をしていた事があります。
 岡山医科大学を卒業し、岡山市内の診療所の医師になりました。

 県知事時代の写真からはニコニコとした愛嬌のある様子が伺えますが、医師時代も人柄の良さから患者から人気だったそうです。
 独立しても成功間違いなし…、そんな周囲の考えに反して、彼は政治家を目指すべく九州帝国大学に入学して法律の勉強を始めます。

政治家を目指した理由


 三木行治が政治家を目指したのには、実は医師を経験したからこその理由がありました。

 ある時、三木行治は結核の患者を担当しました。
 しかしその頃はまだ結核の治療は日当たりのいい部屋でしっかり栄養をとって安静にして…という事しかありませんでした。

 この時に三木行治は「人々が日当たりの良い部屋でしっかり栄養のある食生活を送ることが出来れば結核にならないのだ」と考えました。
 つまり人々がみな裕福になればいいと言うわけです、

 それを実現するのは医療ではなく政治…という事で、官僚、政治家という道を歩み始めたのです。
 医者から政治家というと思い切った転身のように思えますが、三木行治の場合は病気の人を救いたいという気持ちの延長線上に政治家への道があったのです。



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画像:『病人』





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