TOPコラム岡山の過去の出来事>17.邪馬台国・吉備説

卑弥呼

『卑弥呼の墓も! 邪馬台国・吉備説』

邪馬台国・吉備説


 かつて存在した邪馬台国の所在については未だに諸説があります。
 場所についての議論は邪馬台国論争などと呼ばれています。

 有力説として知られるのは畿内説と九州説です。
 邪馬台国の場所についての書籍などを読むと、この二つのどちらかが正解なのかという論調で書かれていることが殆どです。

 しかし有力説とはされていないものの、邪馬台国の所在地については畿内、九州以外とする説が幾つか存在します。
 その内の一つに、岡山県をその場所とする吉備説も存在します。

詳細など


 吉備説では岡山の温羅伝説が邪馬台国と狗奴国との争いを記しているのではないかと考えています。

 遺構として楯築遺跡を卑弥呼が祭事を行った場所とする他、卑弥呼の墓と推定される場所も存在しています。

 それが倉敷市矢部にある鯉喰神社です。
 神社は古い時代の墳丘墓の上に建てられており、これは卑弥呼の時代の墳丘墓としては最も大きな物です。
 この墳丘墓と卑弥呼を結びつけるものはありませんが、邪馬台国が吉備国にあったとすれば、卑弥呼の墓はそれで間違いないだろうと考えられています。



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画像:『卑弥呼』(イラストAC)





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