4月30日-荷風忌 岡山へ疎開した永井荷風の悲劇

4月30日-荷風忌 岡山へ疎開した永井荷風の悲劇
4月30日-今日は何の日?

今日は作家・永井荷風の命日・荷風忌です。

作家として活躍した永井荷風ですが、私生活は余り充実したものではなかったようです。
二度の離婚を経験し、実子はいませんでした。

養子の永井永光はいましたが、彼は著書の中で荷風が死んだ際に絶縁している弟・威三郎に遺産が渡らないようにする為だったのではないかと記しています。

そして1959年の今日、自宅で亡くなっている荷風を通いの家政婦が発見しました。
いわゆる孤独死でした。

死因は胃潰瘍で、吐血した際に心臓麻痺を起こしたものと考えられています。

岡山へ疎開した永井荷風の悲劇

永井荷風は戦時中に岡山県へ疎開してきています

1945年3月10日の東京大空襲の際に家を焼失し、東京から兵庫県明石市、そして岡山市へと移り住みました。
明石から岡山へ移ったのは、神戸が空襲を受けた為に明石市も危険視されていた為です。

しかし運悪く、岡山大空襲に遭遇しています。
当時の岡山市は都市の規模的にまだ空襲を受ける事はないであろうと考えられていましたが、重要な都市以外も空襲をするという空軍の意思表示の為に攻撃を受けたと考えられています。
これは不運としか言いようがありません。

ちなみに永井荷風は岡山県で、同じく作家として著名な谷崎潤一郎に会っています。
岡山での生活の為に生活必需品を貰ったので、そのお礼の為でした。
谷崎潤一郎が住んでいた勝山は平穏で、永井荷風は移住も考えていたそうです。

しかしこの面会の直後、戦争は終わりました。

関連URL:文豪・谷崎潤一郎ゆかりの地(岡山の街角から)




紹介

岡山県の地名の由来、郷土史を扱うWEBサイト・岡山の街角からを運営しています。 このブログでは今日は何の日?をお題に、岡山県の話題をご紹介しています。

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