3月12日-小堀遠州の命日 高梁のゆべしを考案した人

3月12日-小堀遠州の命日 高梁のゆべしを考案した人
写真提供:岡山県
3月12日-今日は何の日?

今日は小堀遠州(政一)の命日です。
作庭家や茶道・遠州流の祖など文化人として著名な方ですが、本業は大名です。

豊臣秀吉、その弟の秀長に仕えていました。
茶道については秀吉に仕えて伏見にいた頃に古田重然の弟子となって学んでいます。

秀吉の死後は徳川家康に仕えており、江戸時代には当時天領だった備中松山藩の備中代官を務めていました。

最終的に伏見奉行となり、茶の湯を楽しみながらの日々を過ごしていたと伝えられています。
そして1647年の3月12日に伏見奉行屋敷にてお亡くなりになられたそうです。

 

岡山と小堀遠州

前述のように小堀遠州は備中代官として備中松山藩、現在の高梁市を任されていました。
父と二代にわたっての務めていますが、この頃の備中松山城、日常業務を行う為の御根小屋は荒廃した状態でした。

そこで小堀遠州は頼久寺を城の代わりの拠点として用いていました。
この時に頼久寺に枯山水の庭園を築いており、これは現在まで残されています。

写真提供:岡山県

同時に備中松山城、御根小屋の普請も行っていますが、小堀遠州自身は1619年の移封までを頼久寺で過ごしています。

また高梁市の土産菓子であるゆべしを考案したのは小堀遠州だとも言われています。




紹介

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