詳細
■ 所在地:瀬戸内市邑久町豊原
■ 建設:文明年間(※1485年には文献に記載がある)
■ 市指定:史跡
■ 営業時間:見学は24時間可だが、登山道を進んでいく必要があるので日中推奨
■ 入場料:無料
砥石城
砥石城は文明年間に浦上氏によって築城された山城です。
築城時期は正確には分かっておらず、1485年の文献に戸石城の書き方で登場しているのでそれ以前の時期と見られます。
宇喜多氏が戸石城の城番を務めており、時期的に宇喜多直家もこの城で生まれたと考えられています。城へ向かう登山道入口には記念碑が建てられています。
尚家の父・興家の時代(1534年)に島村盛貫らに夜襲され、祖父の能家は自害。興家と直家は城を追われます。
後に再興して力をつけた直家は1559年に砥石城を取り戻しており、弟の春家が城主になりました。砥石城の記録はこの春家までで途絶えています。
春家は1568年には金山城に入っており、その頃に廃城になったのかも知れません。
ただしこの直家が城を追われるようになった夜襲についてのエピソードは、現在は創作であったとする説が有力視されています。
島村一族の手で殺害されたのは興家で、能家は赤松晴政の手の者に殺害されたと考えられています。興家は島村一族の子供衆とのいざこざで殺害され、その後に喧嘩両成敗で子供衆が死刑になった事へ対しての調停に島村盛貫が出てきます。
先に紹介したエピソードはこの史実が変化して作られたのではないかと見られています。
遺構について
城の建物は特に残されていません。
ただし本丸跡、曲輪跡、土塁跡、出丸跡などはよく残されています。
出丸は本丸から少し離れた場所にあります。
砥石城跡は全体的に急な山道を登っていくルートですが、この出丸跡は特に道が険しく、直前の道ではロープを伝いながら登る必要があります。
訪問時には登山に適した服装や手袋を用意するのが良いでしょう。
この出丸跡は高取備中守が築いた高取山城跡ではないかと推測されています。
石垣について
砥石城跡についての一部の資料で石垣の存在が触れられています。
現地には看板があり、「自然石を加工しないでそのまま積み上げた石垣」との記述が見られます。
しかしこれは江戸時代末期にあった金刀比羅宮のもので、城の遺構というわけではないようです。
もしかすると本末から下に降りていけば確認できるのかも知れませんが、写真の通り道のない急斜面になっているのでそれはお勧め出来ません。