三余塾跡
詳細
■ 所在地:倉敷市山地
■ 営業時間:見学は24時間可
■ 駐車場:無し
三余塾跡
倉敷市山地の住宅地の中に、三余塾があった事を示す石碑があります。
三余塾は1856年に犬飼松窓が開いた私塾です。
知識だけを身につける学問ではなく、実践的な学問として自分の生活に活かす事や、公益の為に活かしていかなければならないう教育を行いました。
山田方谷が開いた有終館、阪谷朗廬が開いた興譲館と並び、備中の三塾の一つに数えられました。
三余は魏書董遇伝の従学三余に由来しており、読書に適している雨天、夜、冬を指す言葉です。
その言葉通り日中は野良仕事に勤しみ、夜間や雨の日に学びました。
卒業生
卒業生は資料によると359人です。
その中には倉敷紡績の初代社長である大原孝四郎も含まれています。
倉敷紡績の創業時の主要人物には三余塾の卒業生が他にもいます。
後に倉敷三傑に数えられるようになる小松原慶太郎、木村利太郎、大橋沢三郎の内の小松原と木村は三余塾で学んでいます。
彼らは時代から取り残されそうになっていた倉敷を盛り返そうと倉敷紡績の立ち上げを始めました。
まさに三余塾の公益の精神が活かされていますね。