撫川城(撫川城址公園)
詳細
■ 所在地:岡山市北区撫川423
■ 建設:寛治年間、永禄年間などの説がある
■ 営業時間:見学は24時間可
※ただし、夜間は暗いので日中が推奨です
■ 入場料:無料
■ 駐車場:有り
撫川城跡
岡山市北区撫川に撫川城跡があります。
城跡の建物は残されていませんが、堀と石垣の一部が残されています。
現在は撫川城址公園として整備されています。公園の入口に設置されている門は撫川陣屋総門で、明治時代に移築されたものです。
撫川城跡の近くには庭瀬城跡があり、元々2つの城は1つの庭瀬城でした。
築城時期には:寛治年間、永禄年間など諸説があります。後者の説は三村元親が宇喜多家の進行を防ぐ為に整備したというもので、これが築城なのか元あった城の改修なのかは分かりません。
中国兵乱記では豊臣秀吉による高松城攻略に対する、毛利側の国境防備の城「境目七城」の一つに数えられている事が記されています
敷地内には三神社が鎮座しています。

撫川城は1957年に岡山県の史跡に指定されました。これは岡山県が指定する最初の史跡です。岡山県のサイトでも県指定史跡の番号は撫川が1番になっています。
いつ分かれた、撫川城と庭瀬城
前述の通り撫川城と庭瀬城は元は一つの庭瀬城でした。
これが分かれた時期は明確ではありません。
しかし戸川安風が早世し、無嗣断絶になった戸川家を弟の戸川逵冨が交代寄合として存続させたタイミングであるというのが有力説です。
この時に戸川逵冨は現在の撫川城跡のあたりに撫川陣屋を構えました。
そして新たに庭瀬藩の藩主として久世家が入封した際に、庭瀬城跡の辺りに庭瀬藩陣屋を構えました。
庭瀬城が撫川城と庭瀬城に分けて語られるようになったのは、この2つの陣屋が出来て以降と見られています。
関連リンク:庭瀬城跡