お札の家
呪われた「お札の家」—倉敷市の消えた怪奇スポット
消滅した心霊スポット
県道から細い山道を進んだ先に、その家は静かに佇んでいました。 外観は一見すると普通の古びた家。しかし、ひとたび中を覗けば、そこには無数のお札が壁一面に貼られていた…、そんな言い伝えがありました。
結論から言うと2022年にお札の家は解体されました。
しかしその後も多くの人が関心を寄せ、その跡地を訪れる人も少なくありません。それではどのような言い伝えがあったのか深堀してみましょう。
恐怖の言い伝え
なぜ、大量のお札が貼られていたのか?
いくつかの噂が伝えられています。
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・家で不幸が相次ぎ、怨念を鎮めるためにお札を貼り続けた。
・霊的な存在が棲みつき、除霊のためにお札を貼らざるを得なかった。
・軽い気持ちで訪れた者が、帰り道に事故を起こした。
特に最後の話は有名で、「お札の家に近づいた者は奇妙な不運に見舞われる」と囁かれていました。
スポット名は御札の家として知られていました。しかし広島県福山市にも同名のお札の家と呼ばれるスポットがあった為、所在地から由加お札の家、岡山お札の家などとも呼ばれていました。
まとめ
倉敷市の「お札の家」は異様な雰囲気と数々の怪奇現象で知られた心霊スポットでした。今は姿を消しましたが、伝説だけは人々の記憶に刻まれ続けています。
もし、あなたがこの跡地を訪れるなら…
決して、軽い気持ちで足を踏み入れないことをおすすめします。
その正体は…!?
長らく県内随一の知名度の心霊スポットとして知られていましたが、近年になって真相が明らかになりました。
県内の様々なスポットを取り扱う「岡山いろいろ情報」というWEBサイトがあります。
こちらでは実際にお札の家に侵入した記事を掲載していましたが、所有者の方から問い合わせがあったとして掲載していた写真類を削除。代わりに問い合わせから明らかになった事実を掲載しました。
そこで下記の事が判明したのです。
・建物は元々、天地教という宗教の宗教施設だった。
(現在は近くへ移転)
・噂にあるような不幸は何も無かった。
お札があったのは宗教施設として利用されていた為で、それらの遺物から話が大きくなっていって作り上げられたのがお札の家の怪談だったのです。
この事はネット上に上げられたお札の家への侵入動画や写真でも確認できます。
建物の中には実際に何枚かお札が残されていましたが、そこに書かれている「天地大神」というのは天地教の祭神です。
更に天地教の創立者と、過去の住宅地図に掲載されている御札の家の居住者の名前が同じ苗字である事も確認できました。(※1999年版のゼンリン住宅地図にて確認)
宗教施設に残されたお札等を見た人の恐怖心が長い年月をかけて、怪談話を徐々に作り上げていったのでしょう。
また広島県福山市にも同名のスポットが有り、そちらのエピソードも少なからず混同されているようです。
御札の家の怪談の中で似た雰囲気を持つ「ダミー」と呼ばれる建物が登場することがありますが、これは福山の御札の家で囁かれていた噂の混同です。岡山のお札の家は住宅地のそばにあり、ダミーと呼ばれるような建物は付近に存在しません。
※建物は解体済みです。
関連リンク:天地教について