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源平合戦・藤戸の戦いと佐々木盛綱
詳細
佐々木盛綱
生没年:1151年~没年不明
職業:武将
ゆかり:生誕地
スポット:源平合戦
源平合戦・佐々木盛綱
倉敷市藤戸地区を舞台とする源平合戦「藤戸の戦い」。
この戦の中で約500mの海峡を隔てた場所に城郭を構えた平盛行を攻略するという有名な場面があります。
この時の源氏側の武将が佐々木盛綱です。
船のない佐々木盛綱が攻めあぐねていると、平家側が挑発してきます。
そこで馬に乗ったまま海峡へ突入、そのまま渡りきって城郭を攻め落としました。
倉敷市藤戸地域にはその様子を再現した像が設置された盛綱橋があります。
こうして見ると、盛綱が橋を渡っているようでシュールにも見えますね。
数々の伝説
藤戸には佐々木盛綱や源平合戦に関する様々な伝説、遺構があります。
最も有名なのは地元の漁師の男から馬で渡れそうな浅瀬の存在を聞き、口封じのために殺害したという通称「浦の男」の伝承でしょう。
この時に浦の男の母が佐々木の名前に掛けて、「笹まで悪い」と笹を全て抜いてしまい、笹が生えなくなったとされる笹無山があります。
現在の母親の恨みが晴れたのか、笹無山は笹だらけです。
更に合戦後に執り行われた法要で出されたお菓子から始まったのが、倉敷銘菓の藤戸饅頭です。
尚、このエピソードは源平合戦について記した資料の中で記載がない物もあり、史実ではない可能性もあるのかも知れません。
この他にも盛綱が先陣を切って上陸した地に戦没者などの供養の為に作ったとされる先陣庵、海へ向かった乗り出し岩、途中で休憩の際にムチを挿したのが大木に成長したとされる鞭木など、数多くのスポットがあります。