TOP>備中県民局エリアの地名の由来>倉敷市・笹無山

地名の由来:笹無山
源平合戦と藤戸町の地名
倉敷市藤戸町は源平合戦の舞台となった地域です。
源氏の武将・佐々木三郎盛綱が干潮になると現 れる浅瀬を利用して、馬で海を渡るという奇想天外な方法で平氏へと攻め込みました。
この奇想天外な攻撃は当時の人々にとっても衝撃的な方法だったのか、辺りには佐々木盛綱に由来する地名が幾つも伝わってます。
今回紹介する笹無山もその内の一つです。
地名の由来
『笹無山』バス停の近く、住宅が立ち並ぶ道沿 いに笹無山の名前を記す看板があります。
山と言っても、看板の直ぐ側にあるのは小さな丘です。
それが笹無山です。
前述の浅瀬の事を教えたのは、地元で漁業に従事する男でした。
佐々木盛綱はその情報が平家側へ漏れてしまう事を恐れ、男を殺害しました。
その事実を知った男の母親は悲しみと恨みの余り、佐々木と名前の似ている『笹』まで憎いと、笹無山に茂っていた笹を全てちぎってしまい、後に笹が生 えてくる事はなくなったそうです。
その事からこの場所を笹無山と呼ぶようになったのだとか。
現在の様子
ちなみに現在ではきちんと笹が茂っています。
佐々木盛綱さんはこの地で挙げた戦功により、児島一帯を領地とされました。
(※ここでいう児島は現在の児島半島を指す)
その際に男の母親に謝罪し、供養のための法要を営んだ事が伝えられています。
謝罪と弔いを受け入れ、母親の恨みも収まったのでしょう。