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八束村

『八つ墓村の舞台と八束村』

八つ墓村の名前のモデル?


 金田一耕助でも屈指の人気を誇る八つ墓村も舞台は岡山です。
 しかし八つ墓村という地名は岡山県には有りません。

 八つ墓村という名称のモデルではないかとされているのが、県北部に位置する真庭市の蒜山地域にあった旧・八束村です。
 読み方はヤツカソンで、八つ墓村と似ている事から、八束村をもじった名前ではないかと考えられています。

 しかしこれには愛好家の間で異論があります。
 八つ墓村の元々のタイトルは『七つ墓村』だったと言われています。
 その為、八束村の名称を参考にしたでは無いのではないかとも考えられています。

八つ墓村と津山事件


 では八つ墓村はどこにあるのかを考えてみましょう。
 津山事件の現場である津山市加茂町行重をモデルとする説もありますが、これは事実ではないようです。

 八つ墓村の事件の内容については横溝正史自身が津山事件を参考にしたという発言をされています。
 しかし事件の舞台としては、本文中に出てくる条件とは合致しません。
 事件の内容のみ参考にしていると考えた方が無難でしょう。

八つ墓村の場所を考える


 伯備線のN駅から更に鳥取との県境へ向かう辺りというのが八墓村の場所です。

 伯備線でNが頭文字の駅で鳥取県との県境付近という条件に絞ると、まず新見市が合致します。
 八つ墓村の鍾乳洞のモデルと考えられているのも、新見市にある満奇洞です。

 八墓村の舞台は新見市や、その周辺にある新庄村、真庭市辺りが有力ではないでしょうか。
 先に名前の事で挙げた旧・八束村周辺も、場所の条件と良く合致します。


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関連リンク


写真:蒜山
写真提供:岡山県


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