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療養所の島の豊かな文化
療養所の島の豊かな文化
まず私が長島での生活に抱いていた印象についてお話ししようと思います。
病気に苦しむ人達が島から出ることも叶わず、暗鬱と日々を過ごしている。そんな印象を抱いていました。
しかしそれは島を訪れる事で大きく変わりました。
先に紹介した光明学園では入所者が職員を務めた、子供のいる双葉寮でも寮父母を務めたのも入所者たちでした。
症状の軽い人たちは島での作業も行いました。
この解説の中には大変な作業の為に体調を崩してしまう方が居られたという記述もあるので、決して良い側面ばかりではないのかもしれません。
島には島外と同じように人々が生活し、そこには様々な文化が芽吹いていたのです。
このページでは入所者の育んだ豊かな文化の側面を紹介していこうと思います。
愛生焼
愛生焼は入所者の陶工経験者が立ち上げた陶工部が生み出した陶器です。
園で採取された土を使い、虫明焼をヒントに作ったそうです。
戦時中には物資不足に対応する為に日用品も作られていたそうです。
しかし戦後に入って職人がいなくなった為に作られなくなったそうです。
青い鳥楽団
青い鳥楽団は1953年に視覚障害のある入所者を中心に誕生したハーモニカバンドです。
視覚障害はハンセン病でよく見られる後遺症です。
テレビなどで長島の映像が流れる時にサングラスを掛けている人がよく見られるのはこうした事情があるようです。
1978年に高齢化の為に活動を終えるまで、園内外での演奏活動を行いました。
愛生座公演
入所者が小道具から台本、役者まで全てをこなした歌舞伎公演も行われていました。
公演は年に2回行われ、島内外から多くの人が訪れたそうです。しかし観客席は入所者と外来者で分けられていたそうです。
公演は1931年から1965年まで行われました。
野球部
長島で盛んだったスポーツに野球があります。
多い時で8チームがあったそうです。入所者チームだけではなく、職員のチーム、島内にあった邑久高等学校の新良田教室の野球部もありました。
愛生園と光明園だけではなく、地元のチームとの交流戦も行われたそうです。
島内にはこれ以外にもゲートボール部(後にグランドゴルフ部へ)、俳句、短歌、随筆などの文芸部が活動し、気象観測なども行われていた事もあります。
島には様々な文化が存在し、不自由の少なくない島の中でも人々は豊かな生活を営んでいた。それも長島の1つの側面なのです。
写真:長島愛生園で展示されている様々な文化活動やクラブ活動
写真撮影:岡山の街角から
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