TOPコラムコラム・岡山の事件簿>71.岡田更生館事件

イメージ

岡田更生館事件

岡田更生館とは?


 このページでは戦後の岡山県で起きた「岡田更生館事件」を紹介していきますが、その前に岡田更生館とはなんぞや?という事を解説していこうと思います。

 岡田更生館は1946年に岡山県立として立ち上げられた浮浪者収容施設で、県内では最大規模でした。
 施設名の岡田は当時の所在地である岡田村(※現・倉敷市真備町)に由来します。

岡田地区
(更生館付近から見渡す真備町岡田地区周辺)

 戦後の日本では浮浪者が社会問題になっており、治安改善のためにこれを解消すべく全国で同様の施設が作られていました。これにはGHQの意向も含まれており、目的は救済としつつ、実際には強引な方法で収容されていたようです。

 施設は外面的には模範施設とされ、正常に運用されているように見えました。
 しかしその陰では様々な問題が発生していました。それが「岡田更生館事件」と呼ばれるものです。
 

岡田更生館事件


 岡田更生館ではピーク時に500人が入所し、事件が発覚して時点でも275名が暮らしていました。これは施設の収容力を超えており、一畳のスペースに1.3人があてがわれるような状態でした。
 施設内では病気やダニによる皮膚感染症が蔓延していましたが、施設には簡易的な処置しかしない自称医師の老女がいるだけでした。

 県から支給される浮浪者たちの生活費(保護費)は館長に横領されていました。その不足分は入居者の食費を削ることで補われました。
 後述する潜入調査を行った記者によると食事は『吐き気をもよおす悪臭』のする雑炊で、米も具も欠片ほどしか入っていなかったそうです。
 
 このような状況のため、施設では死者や脱走者が相次ぎました。
 脱走者が捕まると暴行を加えられ、やがて死亡すると裏山で焼かれました。

 しかしこれらの実態が露呈する事はありませんでした。
 施設では館長らに気に入られた上位グループが形成されており、外へ向けては彼らの優遇された環境しか公開されていなかったのです。

毎日新聞による取材、事件の終息へ


 岡田更生館に収容された中に、北川冬一郎という人物がいました。
 日雇いの仕事をこなしながら全国を放浪する詩人で、岡山を訪れた際に施設の職員から割のいい仕事があると誘われて岡田更生館へ入所しました。
 しかしそこで見たのは前述の絶望的な状況でした。彼が入所している期間だけで50~60人の死者が出ていたそうです。

 脱走に成功した北川は岡田更生館についての情報を大阪の毎日新聞に持ち込みます。
 これを受けて毎日新聞は地元での取材を開始、施設内の劣悪な状況や死亡者の届け出数と骨箱の数が異なるなどの情報を得ました。
 それを元に岡山地検や倉敷署の協力が得られ、更に救出に来られるチームを編成するなどして記者2名で施設への潜入調査を行いました。

 そして内情を確認すると、記者は脱走を決行。これは失敗に終わりますが、すぐに待機チームと連絡が取れた為に無事に救出されました。
 この時に毎日新聞では施設内の写真などの証拠を押さえ、後に県知事や県警が事件を否定した際に証拠として発表しました。
 
 この出来事の翌年の1950年に岡田更生館は改組され廃止に。後継となる施設も1957年までに廃止されました。
 事件の中心人物である館長らは逮捕されましたが、裁判で殺人について問われることはなく、判決でくだされたのは業務上横領や私文書偽造の罪だけでした。


<<前のページへ   TOPへ戻る   次のページへ>>

関連リンク


写真:跡地に気づかれた慰霊碑


 -戻る-



ページトップに戻る