TOPコラムコラム・岡山の事件簿>48.他人の仇討ち

仇討ち

『他人の仇討ち』

他人の仇討ち代行…?


 江戸時代の岡山藩で、成瀬太左衛門という藩士が加賀藩出身で新たに岡山藩に使えていた小林浅右衛門男に対して仇討ちを決行した事があります。

 しかし成瀬太左衛門は、小林浅右衛門男に対して何かの遺恨があったわけではありません。
 実は仇討ちを行ったのは、これまたよく知らない他人の代行でした。
 
 成瀬はどうして恨みもない相手に仇討ちをすることになったのでしょうか?

事件の真相


 元々小林浅右衛門に仇討ちを挑もうとしていたのは、加賀藩の藩士である田村伝右衛門という侍でした。
 彼の兄は酒の余興で行った相撲で恨みを買い、小林浅右衛門に殺害されました。
 そこで小林を追って岡山まで訪れていたのです。

 太左衛門は同胞の藩士の成田仁右衛門と夜釣に行って帰ろうとしたところ、川岸の洞窟に仇討の為に潜んでいた田村伝右衛門と出会いました。
 そしてその事情を知るや、仇討ちの手助けを約束しました。
 
 しかし伝右衛門は、その直後に仁右衛門に殺害されました
 彼の持っていた名刀と金に目が眩んでの犯行でした。

 太左衛門はそれを知るや仁右衛門を切り捨て、藩主に仇討の代行を申し出ました。
 こうして世にも珍しい、全くの他人への仇討ちが決行されたのです。


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写真:仇討ちのイメージ
写真提供:イラストAC


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