TOPコラムコラム・岡山の事件簿>22.人間裁判(朝日訴訟)

『人間裁判』

人間裁判とは


 津山市出身の朝日 茂さんが起こした訴訟は、朝日訴訟人間裁判と呼ばれ、教科書に載ることもあるそうです。

 この裁判で争われたのは、憲法で定められている生存権です。
 ※憲法には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保証されており、これを生存権と呼びます。
 人間裁判と呼ばれるのもその事に由来します。

事の推移


 朝日さんは結核を患い、国立岡山療養所(現在の南岡山医療センター)へ入所していました。

 朝日さんには兄がおり、毎月1,500円を仕送りしていました。
 その内、600円が朝日さんの日用品を購入する為の費用として渡され、残りの900円は医療費の自己負担分となり、更に足りない部分を国が医療扶助として支払うという形になっていました。

 この600円という金額が裁判の争点になりました。

 600円という金額は?


 600円という金額が、憲法の定める生存権に足るのかどうか?…と言っても、物価等の違いもあるので想像は難しいでと思います。
 1956年当時の600円がどのような金額だったのかを示す基準として、よく年にパンツ一枚という例えが用いられます。

 600円の内訳は2年間で肌着1枚、1年間でパンツ1枚、タオル2枚、下駄(げた)1足、湯飲み1個…といった金額です。

 重症患者は決まった食事を全て食べられない為に、補食で必要な栄養を補う必要があります。
 しかし月に600円では日用品さえ満足に揃えられない状況で、栄養補給にお金を回すのは困難です。

 対する国側は病院が補食が必要のないだけの食事を出している事を主張しました。
 なので600円は全て日用品の購入のみに充てられ、決して金額に不足はないという立場でいました。

裁判の結果


 一審では朝日さんの主張が認められ、勝訴。
 二審では朝日さんの主張する600円の少なさは認められたものの、違法というほど低い金額ではないという判断がなされ、敗訴。
 そして最高裁へ上告が行われましたが、朝日さんはその裁判を待たずしてお亡くなりになりました。

 朝日さんの養子が裁判を続ける意思を示しましたが、最高裁はこれを認めず、朝日さんの死によって訴訟は終了したものとされ、二審の敗訴のままで終結しました。

 しかしその後の国の福祉政策は、様々に見直しが行われました。
 朝日さんは裁判の結果こそ敗訴でしたが、その主張は充分に受け止められたのではないでしょうか。

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関連リンク


画像:早島町にある裁判の記念碑
写真提供:Googleマップ


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