TOPコラム岡山の過去の 出来事>57.常山の女軍の悲劇

女軍の碑

『玉野・常山城「女軍の悲劇」:戦場に散った女性たちの抵抗』

常山城跡


 岡山県玉野市と岡山市の境にそびえる常山城は、戦国時代に起こったある悲劇的な出来事で知られています。それは、毛利軍に攻められ た際に、城を守る女性たちが自ら武器を取り戦い、命を落とした「女軍の悲劇」です。

三村氏最後の居城となった常山城

 常山城は、戦国大名である三村氏の姻戚にあたる上野氏によって築かれたと伝えられています。築城年は定かでは ありませんが、城は代々上野氏によって守られてきました。

常山城 上野隆徳
(常山城跡:上野隆徳公碑)

 天正3年(1575年)、中国地方の覇権をめぐり勢力を拡大する毛利氏は、三村氏の攻略を進めていました。同年には備中松山 城を攻略し、城主の三村元親は切腹します。そして、常山城は三村氏勢力の最後の居城として、小早川隆景率いる毛利 軍の攻撃を受けることになりました。

城主夫人・鶴姫と女性たちの決断

 当時の常山城主は、三村元親の家臣であった上野隆徳です。抵抗も虚しく、城は毛利軍に完全に包囲され、落城は 時間の問題となりました。

 敗北を悟った隆徳は、一族の最期として最後の酒宴を催します。宴が終わると、隆徳の母と妹姫は自害し、長男も同様に命を絶ち ました。まだ幼かった次男も、父である隆徳によって介錯されます。武士にとって敵に捕らえられることは屈辱であり、そうなる前に 死を選んだのです。

常山城跡
(常山城跡:上野隆徳の腹切り岩)

 こうして上野氏の常山城の歴史はここで終わるかに見えました。

 しかし、この絶望的な状況の中、隆徳の妻である鶴姫が立ち上がります。鶴姫は兄である元親を死に追いやった毛 利軍への憤りを胸に、女性たちを集め、自分が敵軍に攻め入ることを告げました。その決意に共感した侍女たちは、鎧をまとい、薙刀 や刀、弓などを手に取り、戦場に立つことを選びました。

壮絶な抵抗と悲劇的な最期


常山城から飛び出し、決死の覚悟で戦う女軍は、毛利軍を大いに驚かせ、多勢に無勢ながらも壮絶な抵抗を見せました。しかし、鶴 姫は敵将に一騎打ちを申し込むも、女性との戦いを拒まれ、その願いはかないませんでした。

女軍

 やがて城へ戻った鶴姫は、自らも自害して果てました。その様子を見届けた隆徳も、後を追うように自害したと伝えられています。

 侍女らのその後は伝えられていませんが、姫と城主を追って自害したものと考えられています。

 この「女軍の悲劇」は、戦国時代において非常に珍しい女性たちの戦いの記録であり、女性たちの秘めたる強さ、そして名誉を重 んじる当時の価値観を伝える貴重な史実として、今も語り継がれています。常山城跡には、彼女たちの悲劇を偲ぶ碑が建立され、静か にその歴史を見守っています。
 現在、城跡には隆徳、鶴姫、そして彼女に付き従った侍女らの物と思われる供養塔が設置されており、多くの歴史愛好家らが訪れ手 を合わせていっています。



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画像:常山城
写真撮影:岡山県





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