TOPコラム岡山の過去の出来事>50.津山になぜ備中櫓?

備中櫓

『津山でなぜ備中櫓?』

津山城に「備中櫓」


 津山市の市街地にある鶴山公園。
 桜の名所として有名な、かつての津山城跡です。

 廃城令の際に建物は撤去されており、当時から現存するのは立派な石垣だけです。
 しかし2002年に築城400年記念事業として、備中櫓が再建されました。

 ところで不思議に思ったことはないでしょうか。
 津山市の旧律令国名は美作国。備中国は岡山県の南西部です。それがどうして津山城の目立つ場所に置かれた櫓の名前になったのでしょう。

真相は…?


 備中櫓の名称は鳥取藩主の池田備中守長幸に由来すると考えられています。
 津山藩主の忠政の長女と四女が長幸に嫁いでいます。(※最初に長女が嫁ぎ、早世後に四女が長幸に嫁いだ)

 その縁故で長幸が津山城を訪れることになり、これを機に作られたのが備中櫓だったようです。

 ちなみに備中櫓は当初は藩主の居所とされましたが、時代によって用途は変わっており、藩主の家族が使っていたこともあれば、倉庫になっていた時期もあったそうです。

関連リンク:津山城



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画像:備中櫓





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