12月30日-決闘罪ニ関スル件公布 岡山では鍵屋の辻の決闘が有名

12月30日-決闘罪ニ関スル件公布 岡山では鍵屋の辻の決闘が有名
12月30日-今日は何の日?

今日は1889年に”決闘罪ニ関スル件“が公布された日です。

これは決闘や、決闘に関与する事を禁止する法律です。
余り知られていないと思いますが、決闘は法律で禁止されています。

この決闘罪の制定には岡山選出の国会議員で総理大臣経験者の犬養 毅が少し関わっています。
まだ記者の仕事をしていた時に、高島炭鉱事件に関して他誌の記者と論争になり、決闘を申し込まれました。
犬養 毅は決闘を野蛮であるとして受けませんでした。
しかしこの事が契機となり、なんと明治時代の日本で決闘が頻発するようになったのです。

決闘罪ニ関スル件はこうした状況に対応する為に作られた法律です。




岡山では鍵屋の辻の決闘が有名

岡山で決闘と言えば、江戸時代に起こった鍵屋の辻の決闘という仇討ちが有名です。

事件の始まりはは池田忠雄の寵愛する小姓・渡辺源太夫が殺害された事です。
岡山藩士の河合又五郎が横恋慕し、断られた為に殺害したものとされています。

河合又五郎は岡山を離れますが、身を寄せたのが江戸の旗本の下だった為、事態は外様大名VS旗本の様相を呈していきました。
その途中で池田忠雄が亡くなってしまったので、幕府は旗本に軽い処分を下し、河合又五郎を江戸から追放する事で事を収めようとしました。

しかし愛する小姓を殺された池田忠雄の恨みは、そんな甘い物ではありませんでした。
なんと死の直前に河合又五郎を斬れと遺言をしていたのです。
藩主にこのような遺言を残されたからには、渡辺源太夫の兄はなんとか仇討ちを決行しなければなりません。

最終的に三重県伊賀市で決闘が行われ、仇討は無事に果たされました。
決闘が行われた場所から、鍵屋の辻の決闘と呼ばれ、日本の三大仇討の一つに数えられています。


※現在の鍵屋の辻の様子

関連リンク:鍵屋の決闘について岡山の街角から

紹介

岡山県の地名の由来、郷土史を扱うWEBサイト・岡山の街角からを運営しています。 このブログでは今日は何の日?をお題に、岡山県の話題をご紹介しています。

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