備中福山城
詳細
■ 国指定:史跡
■ 所在地:総社市清音三因
■ 建設:1335年
■ 営業時間:24時間見学可
(※ただし山の中で、街灯も無いので日中が推奨)
■ 入場料:無料
■ 関連リンク:備中福山城址を歩く
岡山の福山城
岡山には松山城もあれば福山城もあります。
…冗談ではありません。
松山城は現存天主を持つ山城として有名です。
一方の福山城は城跡に余り遺構が無い事や、城としては実質1年程度で廃城となってしまった経緯もあり、知名度では少し落ちるようです。
岡山の松山城が備中松山城と呼ばれるのと同様に、広島県にある福山城と分ける為に、備中福山城の名称で知られる山城です。
歴史
備中福山城は荘 兼祐が福山寺という寺を改造して作りました。
後に足利軍が大軍勢を引き連れて東上しようするのを阻止せんと、大井田氏経が福山城を手に入れました。
そして僅か1,500人程度とされる軍勢で、足利軍の20万人の軍を迎え撃ちました。
あまりの戦力差ゆえに福山城は早々に落とされました。
しかし戦いは凄まじく、3日間にわたる戦いで大井田氏経の軍勢も百騎程度にまで減らされ、対する足利軍も2万人近くの死傷者を出したと伝えられています。
現在の様子・遺構
合戦跡は現在は登山道の一部として整備されており、城址の辺りはその休憩場所になっています。
城跡を思わせるような遺構は門の跡や井戸の跡、そして寺院だった名残が僅かに残されている程度です。
沢山立ち並ぶ慰霊碑などが無ければ、かつてそのような激しい合戦があったとは思えない、のどかな景勝地となっています。