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吉田書店

『小学館を生み出した企業・吉田書店』

 岡山市の表町商店街にある、昔ながらの本屋さん。(※2017年2月に岡山市北区伊島町へ移転)
 吉田書店はそんな趣きのあるお店です。
 しかし吉田書店には、ある大手出版社の誕生秘話が残されています。

吉田書店とは

 現在の吉田書店は書籍の販売を手がけるいわゆる本屋さんですが、元々は販売だけではなく、郷土史などの書籍を作る出版社としての活動も行っていました。
 大正時代には大阪、東京と支社を構え、拡大路線を推し進めていたのです。
 
 前述の大手出版社とのかかわりは、この時代に生まれました。
 当時の県立高松農学校で書記代理をしていた少年が、吉田書店に勤める事になったのです。

 この人こそ、後に小学館を創業する相賀武夫です。
 

相賀武夫

 相賀武夫は、吉田書店が全国展開のために設立した『共同出版社』の東京支社の責任者として、東京で働く事になりました。
 吉田書店の従業員として邁進している中で、ある想いが芽生えました。

 日本文化の基礎は小学教育にある。

 次世代を担う子どもたちへの教育の重要性。
 その為に生まれたのが『学年誌』というコンセプトでした。

 この考えを聞いた吉田書店の経営陣は、それに賛同し、援助を行いました。
 そして大正11年には最初となる『小学五年生』、『小学六年生』が創刊、大正14年までに全学年向けの『小学○年生』(三年生以下は、セウガク○年生)が出版されるに至ったのです。

後の二者

 実は学年誌を出していた頃の相賀武夫は小学館の創業者であると同時に、吉田書店(共同書籍㈱)の従業員でもありました。
 この状態は大正14年に全学年向けの学年誌が揃う直後まで続いていました。
 そして相賀武夫が退職する際にも、吉田書店側は創業から年月の浅い小学館への援助を確約しています。

 いつの時代も、創業にはリスクはつき物です。
 相賀武夫が信念を貫けるように、バックアップを続けた吉田書店もまた、小学館の生みの親であるといっても良いのではないでしょうか。

 後の小学館はもはや説明不要ですね。
 学年誌は今でも小学生の定番ですし、娯楽部門を独立させた集英社も、大手出版社として幅広い活動を続けています。


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写真:表町時代の吉田書店
写真撮影:岡山の街角から


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