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妙覚寺(岡山市)
詳細
通称:岡山妙覚寺(京都の妙覚寺と区別するため)
宗派:日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)
所在地:岡山市北区御津金川600
駐車場:有り
※日蓮宗不受不施派の信徒以外は立入禁止です。
岡山の妙覚寺
妙覚寺と聞くと、宗教に詳しい方は日蓮宗の本山である京都府のお寺を思い浮かべるのではないでしょうか。
実は同名の寺院が岡山市にもあります。
同名の寺社が各地に存在する事自体は珍しいことではありませんが、この二つの寺院の名称が同じなの偶然ではありません。
そこには悲しい歴史の歩みがあります。続いて紹介していきます。
日蓮宗不受不施派とは
岡山の妙覚寺は日蓮宗不受不施派の祖山とされています。
日蓮宗不受不施派は日蓮宗から派生して出来た宗派です。
豊臣秀吉の時代に秀吉主催で千僧供養会(1,000人の僧侶を集めて行われる法要のこと)が行われました。
当時の日蓮宗にも法要に参加するように達しがありましたが、この参加には一つの問題がありました。
日蓮宗の宗祖の日蓮は、他宗派からの布施を受けてはならないとしていました。
秀吉主催の法要に参加することはそれに抵触するのです。
ここで時の権力者である豊臣秀吉の誘いを断る事は良くないと考え、柔軟に対応するべきだとする一派と、日蓮の教えを厳密に護っていくべきだとする一派に分かれました。
不受不施派とは、この時に後者の立場を取った日奥を派祖として、他宗派からの布施を受け取らない立場を貫いた派閥です。
弾圧の時代
江戸時代になると、寺領や生活に必要な飲み水等も、全て施しであるとされ、不受布施の考えは禁教とされ、強い弾圧を受けることになります。
江戸時代の宗教ではキリスト教の弾圧が知られていますが、実は不受布施派も同様の立場におかれていました。
岡山は伝統的に日蓮宗の方が多く、不受布施派も多くおられたそうです。
その為に岡山藩では全国的にも例を見ないほど、徹底した弾圧が行われました。
復興へ
弾圧を逃れるため、不受布施派の人々は表面上は他宗派を振興しているように装って生活をしていました。
やがて明治時代になり、日正という僧侶が現れます。
彼は隠れていた不受布施派の人々を再び集め、明治政府から公認を得て宗派を再建しました。
岡山の妙覚寺はその宗派再興の為の場所だったのです。
そしてその場所には、かつて日奥が供養会への参加を巡って去らなければならなかった京都の妙覚寺の名前をつけたのです。
こうした歴史を知った上で見てみると、全国的にも弾圧が強かった岡山県に妙覚寺という名前の寺院を建てて最高とするなんて意味深な感じがします。
余り寺院らしくない建物ですが、以前は医者の家として使われていたそうです。
尚、神社の境内は一般に開放されていません。
信徒以外立入禁止とされているので、一般の方は立ち入れないのでご注意ください。冒頭の本堂の写真は岡山県から提供を受けた写真です。