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開龍寺
詳細
宗派:真言宗
所在地:笠岡市白石島855
神島八十八ヶ所の奥の院
開龍寺とは
白石島の『開龍寺』は、非常に長い歴史を持つ寺院です。
806年に唐から帰国した弘法大師が島に立ち寄り、巨岩の下で修行をしました。
その周辺を霊地として、自分の像を彫り置いていきました。
修行した場所は上の写真にある奥の院(大師堂)です。秘仏として弘法大師の作った像が納められています。
その地に寺院が作られたのは源平合戦の時代です。
瀬戸内海を舞台とした戦いの後に、逃げ落ちた平家の武士の何名かが白石島で源氏の追っ手によって殺されました。
その際の死者の供養の為に建てられたのが開龍寺です。当初は慈眩寺という名前でしたが、後に現在の名称へ改称されました。
神島地区では四国八十八ヶ所を再現した『神島八十八ヶ所』が行われています。
これは開龍寺の大師堂で今田慧弦が修行をしていた際に弘法大師のお告げを受けて作られたものと伝えられています。
開龍寺はその奥院になっており、神島八十八ヶ所を廻った最後にお礼のお参りに来る場所となっています。
仏舎利塔
開龍寺には人々の目を引く真っ白な仏舎利塔があります。
これはタイのワットパクナム寺から住職プラ・ラーチャー・ウェティー師一行が寺を訪れた際に奉納された仏舎利と、1,200年前に作られたという仏像が納められています。
日本では余り見かけることの無い建物ですが、三重塔や五重塔もこうした塔の一種です。
丸みを帯びた形はインドのストゥーパという建物に起源を持つ伝統的な形です。
日本にこのストゥーバの形ではなく、三重塔や五重塔の形が多くみられるのは、仏教が中国を介して伝わった名残だそうです。
仏舎利というのはお釈迦様を火葬した際の遺骨や灰のことですが、これらを安置した建物に供養された七種の宝(それぞれの宗派で特殊な力があると信じられている宝石類のこと)などを代用品として収めるケースもあるそうです。