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花山上皇の伝説と近似稲荷神社
詳細
所在地:高梁市落合町近似117
別名・愛称:備中高松稲荷神社
祭神:稚産霊神、豊受姫神、倉稲魂神
駐車場:有り
花山上皇ゆかりのお稲荷さん
高梁市落合町近似の稲荷神社は、市街地から高梁川を隔てた落合町地区に鎮座する神社です。
名称は単に稲荷神社とも、地名から近似稲荷神社とも呼ばれます。

(近似神社付近から見る高梁市街地の様子)
高梁市の市街地周辺ではお稲荷さんといえばここというくらい、地域住民から親しまれています。
その起源は古く、平安時代にまで遡ります。
寛弘元年(1004)、諸国巡覧中の花山上皇が備中国川上郡阿部村に滞在された際、山城国紀伊郡三峰(現在の伏見稲荷大社)の稲荷大神を勧請し、「正一位稲荷大明神」として祀ったのが創建と伝えられます。
以後、松山城の鎮守として歴代城主(三村・水谷・安藤・石川・板倉氏)の篤い崇敬を受け、社殿の造営や寄進が重ねられ、祭礼のたびに祭祀料が奉納されました。
こうした由緒から、備中松山藩の守護神として信仰されてきました。
山の斜面に寄り添うように建つ本殿は、高床状の構造と深く張り出した軒を持ち、山間の社らしい落ち着いた佇まいを見せています。

彩色を施さない素木の社殿は周囲の鎮守の森と調和し、長い年月にわたり守り継がれてきた信仰の歴史を静かに物語っています。
華やかさよりも、山の空気に溶け込むような静かな風格が印象的な本殿です。
決して参拝者の多い神社ではありませんが、社務所には神職が常駐しており、気持ちのいい挨拶を投げかけてくれます。
花山上皇の諸国巡覧と真実性
では、神社の創建にかかわった花山上皇とは何者で、どうして諸国を巡っていたのでしょう。
花山上皇は平安時代に実在した人物で、天皇としての在位期間は僅か2年でした。
その退位の理由は出家した為です。出家に至ったのは女御の突然死を嘆いての事とも、一条天皇を即位させるための策略によるとも言われています。
退位後は観音霊場巡りをしており、高梁を訪れて稲荷大神の勧請をしたのもその動きの一環だったと考えられそうですが…、実際のところ上皇が高梁に滞在したという記録はありません。
神社が備中松山城の守護となった際に、それに相応しい起源をという事で、神社が創建された時期に諸国を巡覧していた花山上皇の名前を借りた…といった流れだった事が推測されます。




