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宇高連絡船

宇高大橋(本四架橋Bルート)

宇高大橋 概要

存在しない理由:候補地までで終了
計画概要:宇野港~直島~女木島~高松港
建物:何も作られていません

本四架橋・5つのルート


 昭和30年代に宇高大橋という橋の名前が飛び交った事があります。

 現在の本四架橋である明石海峡大橋、瀬戸大橋、瀬戸内しまなみ海道がまだ構想段階だった頃の事です。
 橋は最初から上記の三つの場所で確定していたわけではなく、候補地は他にも幾つか存在していました。
 
 1959年に建設省が調査したルートには5つの候補があります。
・Aルート:神戸・鳴門ルート(現・明石海峡大橋)
・Bルート:宇野・高松ルート
・Cルート:日比・高松ルート
・Dルート:児島・坂出ルート(現・瀬戸大橋)
・Eルート:尾道・今治ルート(現・瀬戸内しまなみ海道)

 宇高大橋と呼ばれたのはこの内のBルートの事で、宇高連絡船と同じく宇野・高松を結ぶことから仮の名前として宇高大橋と呼ばれました。

宇高大橋の構想と断念


※宇高大橋についての資料は少なく、事実と異なる部分があるかもしれませんのでご了承ください。

 宇高大橋の構想は国鉄(現・JR)が運行する宇高連絡船とルートが同じになる事が強みでした。
 橋が完成すれば宇野港、高松港はフェリーによる玄関口としての機能が低下してしまいまますが、その橋が同じルートであれば地元への影響は抑えられます。

 しかし宇野港~高松港の間には余り島がなく、当時の技術ではそこに橋を架けることは難しかったのです。
 現在の瀬戸大橋が通る児島・坂出ルートが選ばれたのは、橋脚を下ろせる島が多かった為です。

 尚、宇高大橋が不可となった際、玉野市に近い直島では宇野・直島大橋を求める声がありましたが、費用面の問題から実現しませんでした。

Cルートも宇高大橋?


 宇高大橋の誘致が積極的に行われていた時代に、パンフレットのような資料が作られています。
 その中で日比・高松を結ぶCルートも宇高大橋として紹介されています。

Cルート
(宇高大橋のパンフレットより。BルートとCルートところに引かれた紫と黒のラインが宇高大橋とされている)

 こちらは岡山~香川間を結ぶ3つの候補の中で、最短距離でした。
 しかし日比側から高松側へ向けていくまでの間にあるのは大槌島のみです。(※大槌島~高松間には小槌島があります)
 この事が架橋の技術的な難度を挙げてしまう為、候補から脱落しました。


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関連リンク


写真:宇高連絡船廃止時のオレンジカード

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