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倉敷チボリ公園
倉敷チボリ公園・概要
無くなった理由:廃業
営業期間:1997年~2009年(2008年のカウントダウン終了時点)
建物:撤去(後に商業施設と、倉敷みらい公園)
関連リンク:倉敷にチボリ公園があった頃
倉敷チボリ公園とは?倉敷駅北口にあった幻想のテーマパーク
かつてJR倉敷駅の北口を出ると、まるで童話の世界から
飛び出してきたかのような北欧風の美しい建物が目に飛び込んできました。和の情緒が漂う倉敷美観地区が広がる南口とは対照的なそ
の光景は、倉敷市のもう一つのシンボルともいえる存在でした。

この幻想的なテーマパークが「倉敷チボリ公園」 です。
本家チボリ公園は、デンマークの首都コペンハーゲンにあ る世界最古のテーマパークとして知られ、アンデルセン童話を彷彿とさせる外観や雰囲気が世界中の観光客から愛されています。童話 作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンも幾度となく訪れたという逸話も残っています。
倉敷チボリ公園はこの本家チボリ公園を日本へ誘致し、そ
の世界観を忠実に再現した施設でした。
しかし開業当初の注目とは裏腹に、2008年末をもって閉園。構想から閉園に至るまで、波乱に満ちた歴史を歩むことになりまし
た。
チボリ公園誘致の歴史
構想の始まりは、岡山市と岡山県が共同で進めていた「岡山チボリ公園」計画にさかのぼります。現在の岡山ドーム
周辺に誘致する予定でしたが、住民の反対を受けて岡山市が撤退。代替地を探していた県が新たに声をかけたのが倉敷市でした。
候補地として浮上したのは、クラボウ(倉敷紡績)の工場 跡地。ちょうど閉鎖のタイミングと重なり、その土地を借り受ける形でチボリ公園の計画が進められることになりました。
なお、倉敷市は岡山市ほど積極的には関与せず、費用の
一部を負担するにとどまりました。また、当初から事業参画を予定していた阪急電鉄も採算性への懸念から途中で撤退。結果として、
倉敷チボリ公園は第三セクター形式ではあったものの、実質的には岡山県が主体のプロジェクトとなりました。
開園と閉園――チボリブランドがもたらした期待と限界
開業当初、倉敷チボリ公園は華々しいスタートを切 り、多くの来園者で賑わいました。北欧風の建物や美しい庭園、夜のライトアップなどが人気を集め、「まるでヨーロッパにいるよ う」と評されることもありました。
しかし年を追うごとに来園者数は減少。運営に陰りが 見え始めます。
本家チボリ公園の運営元である「チボリ・インターナ ショナル社」は、ブランド維持のためさらなる設備投資を求めましたが、資金難に陥っていた倉敷チボリ公園側は対応できず、交渉は 決裂。契約が打ち切られることになります。
この時点で、2009年1月1日以降は「チボリ公
園」の名称を使用できないことが決定。加えて、岡山県も予算の打ち切りを発表し、倉敷市も再活用案の検討を辞退したため、ついに
公園の廃業が正式に決定しました。
倉敷チボリ公園の跡地は今
閉園後、園内の設備はすべて撤去されましたが、跡地 は再整備され、現在では商業施設や緑豊かな公園が広がる空間へと生まれ変わっています。
中でも「倉敷みらい公園」は、かつて
のチボリ公園の面影を感じさせるデザインが取り入れられ、地域住民の憩いの場として親しまれています。

かつての「童話の国」は消えましたが、その跡地には 新たなストーリーが静かに息づいています。