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街を守り、歴史に溶ける|玉島港「港水門」の追憶
港水門 概要
無くなった理由:撤去(老朽化と治水の為)
所在地:倉敷市玉島
営業期間:1948年~2012年
建物:撤去、一部はモニュメントとして再利用
銀幕に刻まれた、昭和の象徴
かつて北前船の寄港地として栄え、今なお江戸から昭和にかけての息吹を色濃く残す、倉敷市玉島。この港町の入り口で、長年ランドマークとして親しまれてきた建造物がありました。
それが、1948年に岡山県によって整備された『港水門』です。
この水門は、単なる治水施設以上の存在でした。
その古めかしく、どこか温かみのある佇まいは、昭和30年代を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の製作陣をも魅了しました。
近くの商店街にある空き地と共にロケ地に採用されたその姿は、全国のスクリーンに「日本の原風景」として映し出されたのです。高潮の脅威から川の氾濫を防ぎ、住民の暮らしを黙々と守り続けてきた、まさに街の番人でした。
自らの「役割」ゆえの引き際

しかし、形あるものには必ず終わりが訪れます。
老朽化が進む中で、背後には既に最新の治水機能を備えた新しい水門が完成していました。皮肉なことに、旧水門はその構造ゆえに、新しい水門の円滑な治水活動を妨げかねない存在となっていました。
―もし、水門に心があるのなら。
これまで街を守るために存在し続けてきた彼(彼女?)にとって、自らが治水の妨げになることは、何よりも本意ではなかったはずです。
時代に合わせて街を守るという「役割」を全うしたからこそ、自ら道を譲るように姿を消していく。2012年、港水門は多くの市民に惜しまれながら、その役目を終えました。
モニュメントとして生き続ける記憶
解体された水門ですが、その魂は完全に消えたわけではありません。
現在、水門の一部パーツを組み合わせたモニュメントが、夫婦焼きで人気のオリンピック商会のすぐそばに設置されています。

無機質な鉄の塊が、地域の歴史を物語るアートとして再構築された姿には、名残惜しさと共に、新しい時代への希望が感じられます。
玉島の港を歩いて、港水門を眺めたのが2010年の事でした。当時は撤去される予定なども知らず、立派な水門だと思いながら眺めていました。それが最後になりましたが、今も水門がそこにあった頃の風の音が聞こえてくるようです。
物理的な形は失われても、人々の記憶や映画のワンシーン、そして再利用された遺構の中に、港水門は「街の誇り」として生き続けています。
玉島の古い町並みを散策される際は、ぜひ少し足を延ばして、このモニュメントを訪ねてみてください。そこには、かつてこの街の明日を守り抜いた「守護神」の確かな証が刻まれています。

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関連リンク
写真:在りし日の港水門
写真撮影:岡山の街角から
最終更新日:2026.2.26



