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瀬戸大橋架橋記念館

瀬戸大橋架橋記念館


 瀬戸大橋が完成した頃、岡山と香川は橋を中心にした町づくりを進めました。
 しかし瀬戸大橋の交通量は当初の見込みほどは伸びず、橋に関連する観光客に期待した動きは徐々に減退していきました。

瀬戸大橋架橋記念館 概要

無くなった理由:用途変更
所在地:倉敷市児島味野2丁目2−38
営業期間:1988年~2011年
建物:現存(児島市民交流センター交流棟として)

瀬戸大橋架橋記念館の今昔


 倉敷市にあった倉敷市瀬戸大橋架橋記念館は、その名の通り瀬戸大橋架橋の完成を記念して作られた資料館です。
 瀬戸大橋に関する施設と言えば、香川県側にある瀬戸大橋記念館が夜景スポット等として知られていますが、岡山県も瀬戸大橋の記念館を建てていたのです。

 2011年に児島市民交流センターに改められ、展示物の大半が撤去された上で会議室、展示スペース等を提供するホールとしての用途に変更されました。

 続いては世紀の大事業である瀬戸大橋の記念館が廃止されるに至った経緯について紹介していきましょう。

記念館時代


 瀬戸大橋架橋記念館は瀬戸大橋に関する資料や、ミニチュアが展示されているだけの施設ではありませんでした。
 古今東西の様々な橋を紹介したり、実在しない橋のミニチュアを作成して展示するなど、瀬戸大橋に限らない橋の総合的な博物館という珍しいコンセプトでした。

 しかし瀬戸大橋架橋記念館には致命的な弱点がありました。
 瀬戸大橋からから離れている為、建物から橋を見る事が出来なかったのです。橋どころか海からもかなり離れています。

 なので橋を見に行く人は鷲羽山などの景勝地へ行き、架橋記念館を訪れる人はごく僅かでした。
 架橋記念館時代に何度か訪れましたが、いつも閑散として私以外に館内を見学している人と遭遇したことはありませんでした。

ユニークな外観


 架橋記念館は建物自体も太鼓橋を模したデザインになっています。

 当時は階段になっている外壁を登って、下の写真のように建物の頂上まで上がっていく事が出来ました。(※現在はイベント時などに一時的に開放されるのみ)
屋根の上
 また記念館の正面にある公園も、橋と水で形成されている美しい公園です。
※記念館の用途変更後も、公園は水が抜かれた以外は往年のまま残さっています。

 リニューアルされて以降は地域の人々の交流の場として賑わっていますが、今でもあの独特な雰囲気の記念館が懐かしくなります。



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関連リンク


写真:旧・瀬戸大橋架橋記念館の外観
写真撮影:岡山の街角から

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