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備前ヨーロッパ時代村
備前ヨーロッパ時代村 概要
備前ヨーロッパ時代村
無い理由:計画までで頓挫
関連リンク:柵原ふれあい鉱山公園
備前ヨーロッパ時代村
現在、日本に3つの時代村というテーマパークがあります。
東京の大新東株式会社が運営しており、2006年までは加賀百万石時代村も存在しました。(※2004年に運営から撤退)
実は岡山県にも時代村を作る構想がありました。
それが「備前ヨーロッパ時代村」です。岡山県議会の議事録によるとオープンは1994年の計画でした。
内容は時代村の西洋版で、外国文化に触れられる施設を目指していました。
岡山県も第三セクターとして関わる方向で計画が進められていたようです。
しかしこの計画が進められていた1991年、日本はバブル崩壊と呼ばれる急速な景気後退期を迎えます。その影響で資金調達が難しくなり、計画は頓挫。
備前ヨーロッパ時代村は構想時点で終焉を迎えました。
片上鉄道と時代村
ところで備前ヨーロッパ時代村の計画頓挫と同時に終焉を迎えることになった物があります。それは片上鉄道です。実は同時期に路線を運営するDOWAホールディングス(当時は同和鉱業)が廃止を検討していました。
同路線は柵原鉱山から産出される硫化鉄鉱を輸送するために建造され、旅客輸送も行っていました。
しかし輸送手段は産出量の減少の影響もあり自動車に置き換えられていました。また沿線人口も減少傾向にあり、旅客のみで路線を残すのは厳しい状況でした。
そこへ手を差し伸べる形になったのが備前ヨーロッパ時代村でした。
備前ヨーロッパ時代村を運営する大東新が鉄道を引き継ぎ、同施設を訪れる客の足として存続させる計画だったのです。
DOWA側もこの事を考慮して第三セクターを設立しての事業譲渡、赤字額の補填を条件に大新東に引き継ぐまでの3年間の事業継続という条件を提示しました。
しかし時代村と同時にその計画も無くなり、県や沿線自治体が第三セクターを設立しての運営も実現せず、片上鉄道は廃止される事になりました。