玉島の幽霊カーブ
事故が多発する幽霊カーブ
倉敷市玉島地域の県道47号の途中に「幽霊カーブ」と呼ばれる箇所があります。
玉島黒崎から浅口市寄島町に向かう山中にある大きなカーブです。
この場所では自転車やバイクの事故が多いと言われています。
事故を起こすのが自動車ではなのには理由があり、二輪車で移動中に急に速度が上がらなくなって後ろを見ると女性が後ろにしがみついているそうです。
それに驚いて事故を起こしてしまうのです。
現地は海が見えて気持ちいので、現在でもバイクや自転車の移動にも人気の道路です。
しかしガードレールに事故の起こったような形跡はなく、更に事故多発地点に設置されるような安全運転を呼びかける標識も有りません。
どうやら現在ではそうした出来事も収束しているようです。
病人小屋の噂
このスポットは古くから地元の噂に上がるような場所ではあったようですが、近年で知られるようになるきっかけとなったのは2000年代前半に高い人気を誇ったテキストサイト・探偵ファイルです。
同サイト内のコンテンツの一つであった「日本心霊マップ」の中で悲しき病人小屋のタイトルで幽霊カーブが紹介されました。
現地に出向いて実際に噂などの聞き取り調査を行っています。
その中で現地の男性の話として紹介されたのが、かつてあったという病人小屋と呼ばれる隔離病棟のような施設の存在です。
かつて疫病が猛威を振るった際に、そこに病人を閉じ込めたというのです。
探偵ファイルの記事によると約6坪の小屋に同時に5~6人くらいが収容されることがあったというので病気療養にいい環境とは言えません。
有効な治療方法が確立していなかったのでしょう、主な目的な回復ではなく隔離だったと考えられそうです。
入れられたが最後、治療は言わずもがな、食事さえも運ばれなかったそうです。
やがて人々は飢えと病気に苦しみながら死んでいきました。
そうした人々がどうにかして家に帰ろうとしたのではないかと、同サイトでは締めています。
昔の隔離病舎について
個人的な感想としてはその施設があった記録、無かった記録も見つけられていないので事実関係については分かりません。
内容的には日本でコレラが流行した際に整備されていた隔離病舎(避病院)と呼ばれた施設と一致する部分が多いように感じました。
有効な治療法が隔離していなかった時代なので、隔離するだけという施設です。
北海道の浦河町がネット上に公開している伝染病の隔離病棟に関するPDFファイルでは各村に一つは用意されていたという事が記録されています。
更に宮崎県が公開している当時のコレラの対応についてを記したPDFファイルでは、人家から離れた場所で既存の家を借りるか、臨時の小家(原文ママ)を建てて対応したことが紹介されています。
そう考えると人家のない幽霊カーブの場所に当時の黒崎村が用意した施設として立地はおかしく有りません。
また施設の性格上、必要がなくなるとすぐに撤去されたというのも探偵ファイルの記事と合致します。
この件については存在したのであれば資料が残っていそうなものだと思うので、引き続き調べて進展があればこの記事に反映させて行こうと思います。
※交通量が多いトンネルなので、通行の際は気をつけて運転しましょう。