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生石のう様

血を吹く石、生石のう様

生石のう様の伝説


 浅口市鴨方町六条院中に生石(おんじ)のう様と呼ばれる石が祀られています。
 
 この石はかつて血が吹き出したという伝説があります。
 かつて岡山藩主が領内の巡見を行っていた時、地元の名主である平井家の庭で庭石にちょうど良さそうな石を見つけました。

 これを後楽園に飾ろうと思いつき、石を譲り受けて持ち帰りました。
 しかしこの石が夜な夜な「おんじへいのう」と泣くのです。
 「おんじ」は石が元々あった場所の地名で、「いのう」は岡山弁で帰ろうという意味です。
 つまり石は元の場所へ帰りたがって泣いたのです。

 しかしせっかく立派な後楽園へ移され、お殿様のお膝元にいられるというのに帰りたいとは「無礼だ」ということで、石は手打ちにされました。
 そうすると石から血が吹き出してきて、この石は生きているのだとされ、念願かなって元の生石の地へ戻されました。

殿様の謎


 ところでこの生石のう様の言い伝えには一つ矛盾点が存在します。
 こちらが現地にある生石のう様のエピソードについて触れている看板です。
生石のう様の現地の案内看板
 現地の看板の場所の関係で正面からではなく読みづらいのはご了承下さい。

 この看板によると、生石のう様を欲しがって岡山後楽園に置こうとしたのは池田光政という事になっています。
 しかし岡山後楽園は池田光政の次の藩主である池田綱政が作ったのです。
 
 話しの内容が何処かで誤って伝わったのでしょうか。
 藩主の名前が異なるのか、それとも池田光政が後楽園以外の場所に置こうとしていたのか。
 今となっては確認する術もありません。

 伝説の内容にアレコレと口を挟むのはよくないと思いますが、明らかな矛盾点なので本文中ではとりあえず藩主の名前を特定せずに書かせていただきました。



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関連リンク


写真:生石のう様(岡山の街角から)

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