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石碑

作家・夏目漱石

詳細

夏目漱石ゆかりの地(写真は岡山市にある歌碑)
来訪日:1892年
職業:教師、作家
ゆかり:親族のお祝いの為に逗留した
スポット:石碑、宿泊先、観光した場所(※宿泊先は岸本家以外現存せず)

参考文献:岡山の夏目金之助(漱石)―岡山逗留と愛弟子廉孫 (岡山文庫)


夏目漱石と岡山

 京橋の近くに整備された旭川沿いの遊歩道を歩いていると、『夏目漱石岡山逗留の地』という石碑が見つかります。
 県民でも余り知らないこの石碑が告げるように、夏目漱石は一ヶ月ほど岡山県へ滞在した事があるのです。

 岡山県に住む親戚に慶事が重なったので、夏目家を代表して夏目漱石が岡山を訪れる事になったのです。
 慶事は夏目漱石のお亡くなりになった兄の妻だった小勝さんの再婚です。

 そして小勝の実弟である臼井亀太郎の婚約も重なっていたのです。

登場人物一覧

 この辺りの流れはちょっとややこしいので、登場する人物を整理しておきます。

 臼井直則(漱石の兄)
 夏目漱石の実の兄ですが、臼井家という家を継いだ為に『臼井直則』と言います。
 臼井家は夏目漱石のひいひいお祖父さんが、子供のいなかった夏目家へ養子として入ったという、つながりの深い家系です。
 ただしこの方は早世されており、夏目漱石が岡山を訪れた際は故人でした。
 岸本小勝(漱石の兄嫁、臼井直則の未亡人)
 岸本小勝は、亡くなった臼井直則の未亡人です。

 臼井直則が存命中には夏目家で暮らしていました。
 しかし、夫である臼井直則の死去に伴って実家の片岡家へ復籍しました。そして再婚するのに伴い、岸本姓になりました。
 臼井亀太郎(岸本小勝の弟)
 婚約をしたという臼井亀太郎は、小勝の実の弟です。
 元々は小勝の旧姓である『片岡亀太郎』でしたが、直則が逝去した後に臼井家を継ぐ事になって臼井家の養子となっています。

 臼井直則が存命中には、直則、小勝と共に夏目家で暮らしていました。

漱石と岡山観光

 夏目漱石は途中まで親友の正岡子規と京都見物をして来岡しました。

 岡山へは船で訪れ、着いたのは三蟠の港です。
 最初に訪れたのは小勝と亀太郎の実家である片岡家で、場所は現在の京橋の周辺、先述の石碑がある辺りだったそうです。
 後楽園岡山城の天守閣を楽しみ、京橋の下を納涼舟で楽しんだそうで、周辺を不夜城のようだったとしています。

 そして小勝の再婚先である岸本家(岡山市東区西大寺金田)へも挨拶に訪れます。
 現在の感覚で言えば、岸本家と夏目家は他人といってもいいような感じがするのですが、記録によるとかなりの歓待を受けています。
 児島湾へテント張りの船で漕ぎ出し、釣ったばかりの魚を楽しんだとか。

 贋金作りで知られる『勘三郎の穴』も楽しんだそうです。
 この地ではハマグリを沢山採ったものの容器が無かったので褌に来るんで持って帰ったという武勇伝も残されています。

洪水に遭遇!

 その後、片岡家へ戻りますが、死者47名も出す事態となった大洪水に遭遇します。
 片岡家も五尺(約150cm)も浸水するという被害に遭っていますが、本が入った柳行李(旅行用の鞄のようなもの)を持って脱出、当時の県庁…現在の天神プラザがある小高くなっている辺りへ避難しました。

 そして岡山の実業家である光藤亀吉の家の離れへ避難させてもらうことになり、一週間ほどをすごしています。
 ここは夏目漱石の避難した場所として、光藤家が保存していましたが戦災で焼失しました。
 場所は岡山東税務署周辺だったそうです。(岡山文庫『岡山の夏目金之助』参考)

大事件勃発!!

 親友である正岡子規が落第し、退学する意向を綴った手紙を受け取ったのも、この岡山での出来事です。
 洪水に、親友の退学…。
 岡山での逗留は一ヶ月にも及ぶと言うのに、余り自身の筆による記録が残されていないのは、もしかすると滞在の楽しい記憶も飛んでしまうほどの衝撃を二つも経験してしまったからなのかもしれません。

 ところでこの時に夏目漱石さんは退学を翻意してもらおうと『鳴くならば 満月になけ ほとゝぎす』という句を含んだ手紙を送っています。
 そして一ヶ月の逗留の後、正岡子規さんのいる松山へと向い、岡山での滞在を終えたのでした。


謝辞:このページを作成するのに、岡山文庫『岡山の夏目金之助(漱石)―岡山逗留と愛弟子廉孫 (岡山文庫)』を参考にさせて頂き、著者のお一人である横山俊之様からはご丁寧なメールまで頂きました。
 この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。

マップ(記念碑)




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関連リンク


写真:記念碑
写真撮影:岡山の街角から

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