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人見絹枝

アスリート・人見絹枝

詳細

人見絹枝(写真は県営グラウンドに作られた像)
生没年:1907年~1931年
職業:陸上選手(アムステルダムオリンピック、銀メダリスト)
ゆかり:生誕地
スポット:県営グラウンドに像がある

人見絹枝と岡山

 岡山県は数多くの著名な陸上競技の選手を輩出している県です。
 地元企業の天満屋陸上部や、メダリストとして現在でも人気の有森裕子さんなどの活躍でしられています。

 しかし岡山県の陸上の歴史を語るのであれば、日本女子初のメダリストである人見絹枝を外すことは出来ないでしょう。
 彼女は現在の岡山市南区福成に生まれ育った生粋の岡山人です。
 近くにある人絹(ジンケン)道路は、人絹を作る工場の利便性工場の為に造られた為に付けられた愛称であると言われていますが、地元の方は、人見絹枝さんの地元を走る道路だから、略して人絹道路であるとも考えているそうです。

 当初はテニスをしていましたが、その運動神経を見込まれて参加した女子体育大会で圧倒的な成績を残して以降、メキメキと実力を伸ばし、ついにアムステルダムオリンピックの800mでは銀メダルを獲得するなど数多くの国際大会へ参加して優秀な結果を残してきた方です。

短い生涯とその功績

 しかし彼女の功績は、日本人女子初のメダルというだけではありません。
 アムステルダムオリンピックへ出場した女子選手は彼女一人のみですが、実際には候補となる選手が他にいなかったのではありません。
 現在のように男女問わず、世界の舞台での活躍を祝われるような時代ではなかったのです。

 多くの批判や偏見の目にさらされた彼女ですが、自分の後から活躍するであろう選手のために、後進の育成や講演の活動などを行って、アスリートの環境を整えることに熱心だったそうです。
 病気の為、24歳と言う若さで亡くなってしまいましたが、彼女の思いは、現在の日本にしっかりと根ざしている事でしょう。

 現在、岡山県営グラウンドには彼女のブロンズ像が作られ、多くの後輩たちの活躍を暖かく見守っています。

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写真:総合グラウンドの像
写真撮影:岡山の街角から

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