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岡山に日野富子の墓がある!?
詳細
日野富子
生没年:1440~1496年
職業:足利義政の正室
ゆかり:晩年を過ごした?
スポット:墓
日野富子とは
室町幕府の将軍・足利義政の正室の日野富子は、絶大な権力を有していました。
夫の隠居後は自らに近い人物を将軍とすることで、室町幕府を実質的に取り仕切る程の力を得ました。
我が子を将軍にする事に熱意を燃やし、その事が応仁の乱を引き起こす一因になったともいわれており、現在では富子を日本三大悪女に数える事もあるほどです。
お金を貯める事にも長けており、その事が原因で一揆を起こされています。
ため込んだ資産は現在の価値で60~70億円に相当するものだったと言われています。
日野富子の墓が岡山に!?
日野富子の墓は京都市の華開院がよく知られています。
…が、実は岡山県にも日野富子の物と伝えられる墓があります。
赤磐市の自性院常念寺にある墓です。
冒頭の写真がそれで、向かって左側が夫である足利義政の供養等、右側が日野富子の墓であると伝えられています。
一説には浦上則宗を頼って岡山に移住してきたと伝えられています。
岡山を訪れた日野富子の晩年は孤独で寂しいものだったそうです。
赤磐で庵を結び、先だった夫や息子の供養をしながら心静かに過ごしたのだとか。