瀬戸大橋物語7

 鷲羽山展望台より

瀬戸大橋完成へ

 瀬戸大橋の完成
 様々な問題と立ち向かい、ついに瀬戸大橋は完成の日を迎えます。
 それは1989年4月10日の事でした。
 着工から9年半、誰もが架橋を熱望した紫雲丸の悲しい事故から34年もの月日が経過していました。
 しかし夢物語でしかないと思われていた大久保諶之丞による架橋の提案から100年も経たずに、本州と四国をつなぐ橋は完成したのです。

 岡山県側の下津井瀬戸大橋から、櫃石島橋岩黒島橋与島橋北備讃瀬戸大橋南備讃瀬戸大橋と続く六つの橋の総称が瀬戸大橋です。

 下津井瀬戸大橋から南備潜瀬戸大橋の海峡部は9,367m
 鉄道を併用する橋としては世界一の規模を誇ります。また鉄道部分は将来を見据えて新幹線を通すことも出来る設計になっています。
 総工費は1兆1,200億円。しかしこの金額以上に後の本四ルート建築のみならず世界中の架橋技術へつながる実績を残した大工事でした。

 

 瀬戸大橋の開通後
  瀬戸大橋が鉄道を併用している事から、岡山-香川の生活圏は大きく変わりました。
 橋が出来たことで両者の行き来に要する時間は大幅に短縮され、先んじて開通していた児島~茶屋町間とあわせてお互いに通勤・通学が可能になったのです。
 反面、瀬戸大橋と共存することになった下津井などのエリアでは騒音問題や夜間照明での光害なども発生し、瀬戸大橋は開通後も様々な問題に立ち向かわなくてはなりませんでした。

 当初想定していたほどの交通量がなく、様々な値下げ策やキャンペーンによっててこ入れが行われているのも事実で、瀬戸大橋はこれからも新たな問題へ立ち向かっていかなければなりません。

 しかしたった100年たらずで夢物語が現実になったのです。
 これからも岡山県、香川県に住む一人一人が一生懸命考えていけば、きっと打開策は見つかるはずです。橋を託された私達は、本州から四国まで続く橋を、今度は未来へとつなげていかなくてはなりません。

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写真提供:岡山県


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