TOP>コラム>長島、ハンセン病療養所の島を歩く>7.園長室と光田健輔
園長室と光田健輔について
園長室
動画の視聴を終えると、その出た先にあるのが園長室です。
これは実際に愛生園の園長が使用していた部屋を再現してあります。
逆に当時を再現してあるのはこの部屋だけです。
他の部屋については展示室になっており、当時を思わせるものは余り有りません。
デスクの後ろには歴代の園長の写真が飾ってあります。
写真、名前、そして在任期間が記されています。特徴的なのは初代、二代目の園長の在任期間が20年以上と非常に長いことでしょうか。
特に初代園長の光田健輔氏は昭和6年から昭和32年まで、なんと四半世紀以上も園長職についていました。
光田健輔とは
初代園長の光田健輔は日本初のハンセン病の国立療養所である長島愛生園の設立の為に尽力した人物です。
しかしその評価については、現代では2つに別れています。
まず高く評価される点はハンセン病への貢献です。
国立療養所の設立や、病気への研究にも大きな功績を残しています。
一方で批判的な評価をされているのは人権問題などです。
療養所における不妊手術や中絶の強制、そして治療法が確立した後でも隔離政策を支持し、らい予防法の制定にも関与しました。
ただし批判的な評価の部分については、当時の医学的な見地である事も考慮されるべきであるという点も決して無視できません。
写真:愛生園歴史館
写真撮影:岡山の街角から
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