TOP>コラム>長島、ハンセン病療養所の島を歩く>15.納骨堂
療養所の島の納骨堂(長島愛生園)
納骨堂
目白寮跡から移動して、今回の訪問で見学が許可されている最終地点である納骨堂へ向かいます。
ここまで基本的に平地を歩いてきましたが、納骨堂だけは萬霊山という小高い丘のような場所を上がっていきます。萬霊山はミタマヤマが正式名称のようですが、そのままの読みでバンレイザンとも呼ばれているそうです。
登山というよりはトレッキング、ウォーキングといったところでしょうか。
登りきった場所にあるのがページ冒頭の写真にある納骨堂の建物です。
この建物は2代目で、最初の建物は1934年に建造されました。
しかし老朽化が進み、2002年に現在の建物が完成しました。
納骨堂のすぐ近くには水子供養もあります。
島では入所者が妊娠しても中絶手術により出産に至らないようにしていました。
この水子供養がそうした生まれてくることとの出来なかった子供たちのものです。
尚、ハンセン病は遺伝病ではありません。当時の医学での見地もあったでしょうが、園内での男女交遊から生まれる子供の養育が問題になっていたという面もあったようです。(川崎愛「ハンセン病療養所における優生手術」より)
山にはペットの供養碑もあります。
園内で飼われていたペットのための供養碑ですが、現在は周囲を木の枝が覆って近づけない状態になっていました。
遠目に見る限りでも余りお参りされている様子はありません。
納骨堂のある萬霊山に様々な形でペットの供養が行われていたのを、1995年の整備の際に改めて合祀したものです。
入所者の数が減り、後遺症のために島で暮らす人々が中心となっているので新たに供養したり、お参りしたりという供養碑への需要は減少しているのでしょうか。
療養所の島の納骨堂とは
長島愛生園歴史館を見学した際に、納骨堂について少し触れられていました。
私も同じ問いかけをしてみようと思います。
なぜ、療養所の島に納骨堂があるのでしょう。
入所者は決して家族のいない人たちではありません。
しかし彼らのお骨が積極的に持ち帰られた訳ではありません。時には島から持ち帰る途中の海に投棄されるような事もあり、納骨堂はそうした状況に対応する為に作られました。
お骨になっても差別や偏見は収まらなかったのです。
※※お知らせ※※
現在、新型コロナウイルスの流行に伴い島内の見学が制限されています。
今回の行程で見学できたのは納骨堂までです。愛生園、光明園に関連する施設は他にも数多く残されていますので、それらは流行が落ち着いた時期に改めて追加していきます。
私も同じ問いかけをしてみようと思います。
なぜ、療養所の島に納骨堂があるのでしょう。
入所者は決して家族のいない人たちではありません。
しかし彼らのお骨が積極的に持ち帰られた訳ではありません。時には島から持ち帰る途中の海に投棄されるような事もあり、納骨堂はそうした状況に対応する為に作られました。
お骨になっても差別や偏見は収まらなかったのです。
※※お知らせ※※
現在、新型コロナウイルスの流行に伴い島内の見学が制限されています。
今回の行程で見学できたのは納骨堂までです。愛生園、光明園に関連する施設は他にも数多く残されていますので、それらは流行が落ち着いた時期に改めて追加していきます。
写真:納骨堂、萬霊山、、水子供養、ペット慰霊碑
写真撮影:岡山の街角から
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