『新派の始祖・角藤定憲』
解説
角藤定憲は幕末の1865年に岡山市北区御津町に生まれました。
明治維新の際に没落したいわゆる不平士族の家の出で、苦労の多い若者時代を過ごします。
彼の人生の契機となったのは21歳で出た大阪でした。
ここで自由民権運動の活動家である中江兆民と出会い、定憲が不平士族の窮状を書いた自伝の「剛胆の書生」を演劇にする事を勧められ上演に到りました。
中江兆民は民権運動を広めるのに演劇を利用する事を考えていましたが、物珍しさもあって興業は好評で定憲は俳優に転じました。
この時の演劇は「壮士芝居」と呼ばれ、これが「新派」の始祖となり、多くのフォロワーを生み出しました。
しかし中央での華やかな成功を得る事は出来ず、地方巡業を続ける中で43歳の若さで急逝しました。
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