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早嶋喜一

『旭屋書店創業者・早嶋喜一』

解説


 近畿地方を中心に展開する書店、旭屋書店。
 創業者の早嶋喜一は津山市出身です。旧制の津山中学校を卒業後、早稲田大学へ進学するために東京へ移住しました。(※大学は後に中退)

 その後、大阪新聞の専務と産経新聞の社長を務めました。
 これらの役職は戦後の公職追放により辞しました。大阪で創業していた雑貨類を扱う店を書店の旭屋書店として、その経営に専念するようになります。
 旭屋書店は1965年に東京進出を果たしますが、翌年の1966年に全日空羽田沖墜落事故で急逝しました。

 岡山県には旭屋書店はありませんが、早嶋喜一自身は郷土愛に厚い人物で、津山文化センターの募金活動に協力したなどのエピソードが残されています。
 公職追放が解除された後にサンケイグループの産経学園の立ち上げに携わっていますが、ここにも津山市出身の職員がおられたそうです。



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