『倉敷市・玉野市初代市長 関藤硯衛』
解説
倉敷市と玉野市の初代の市長は同じ「関藤硯衛(ひろえ)」という人物が務めています。
笠岡市出身の政治家で、市長職の他に赤磐と浅口の郡長も歴任しました。
関藤硯衛が新しく出来る市の請負人のように派遣されたというわけではなく、どちらも市になる以前の町時代の町長を務めていました。そして新市の発足時に市長に選ばれたのです。
現在と比べると市町村合併や、それに伴う新市の発足も多く起こっていましたが、それでも1人の人物が2度も新市長を務めるのは珍しい事例だそうです。
戦後に公職追放を受けますが、それより先の玉野市市長だった1942年に側近が亡くなった事をきっかけに引退しています。
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