『雄町米と岸本甚造』
解説
酒米として知られる"雄町"を見つけたのは、岡山市雄町出身で農業を営んでいた岸本甚造です。
彼が雄町を発見したのは、偶然の出来事でした。
伯耆大山へ参拝して帰っている道すがら、重たそうな珍しい稲穂を見つけました。
彼は二穂を譲り受けて持ち帰りました。
これが後の雄町になる稲穂です。
当初は前述のエピソードから二本草と呼ばれていましたが、評判になり栽培する農家が増えていく内に雄町米、雄町と呼ばれるようになりました。
雄町には岸本甚造の公徳碑が建てられています。
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