『ビール王・馬越恭平』
解説
井原市出身の馬越恭平は日本のビール王の異名で知られています。
1892年に経営難に陥っていた日本麦酒の経営再建に為に三井物産から送り込まれた事を契機にビール業界に携わることになりました。
後に大型の合併を実現し大日本麦酒を設立、社長に就任しました。
大日本麦酒の市場シェアは最高で79%にも達しました。
銀座に作ったビールの名前がビアホールで、この和製英語を考案したのは馬越恭平だと言われています。
郷土である井原市への寄付も熱心に行っており、井原市にある馬越橋は最初の橋が馬越の寄付によって架けられた事に由来します。(現在の橋は新しく架け替えられた物)