『水島史上最悪、重油流出事故』
水島で起きた最悪の事故
岡山県史において、水島臨海工業地帯で発生した最大の事故とされているのが、1974年に三菱石油のタンクから大量の重油が流出した事故です。
・事故の発覚
事態が発覚したのは12月18日深夜のことでした。20時40分頃、三菱石油水島製油所を巡視していた庵連会社の従業員が、貯蔵容量5万トンの「T-270タンク」から重油が漏れているのを発見しました。
・タンクの破損と流出
発見後、同社は重油を別のタンクへ移すためバルブ操作を行いました。しかし、21時10分頃、タンクの底が破損し、タンク内の重油が一気に流出してしまいました。
通常、流出した油はタンク周辺に設置された「防油堤」と呼ばれる堤防内に留まるようになっています。しかし流出の勢いが強すぎたため、タンクを点検するための階段が吹き飛ばされます。
この階段はタンクの上部に通じる頑丈な構造でしたが、根元から破壊され、防油堤にぶつかり一部を崩壊させてしまいました。
・被害の広がり
防油堤が破壊されたことで、重油は海へと流出。被害は対岸の香川県にまで及び、東は徳島県の鳴門海峡付近、西は岡山県笠岡市周辺の海域でも油膜が確認されました。
被害が拡大した理由
この重油流出事故の被害が拡大した主な原因は、当初の見込みの甘さにあります。
タンクから流出した重油の総量は約42,800㎘と推定されており、そのうち海に流出したのは7,500~9,500㎘でした。しかし事故直後の段階では流出量をわずか200㎘と過小評価していました。そのためこの数字をもとに設置されたオイルフェンスでは十分な効果を発揮できませんでした。
この誤算は事故が夜間に発生し、状況の把握が難しかったことに起因します。さらに夜が明けて被害の全容が判明した頃には運悪く引き潮となり、重油は広範囲に拡散してしまいました。
他に流出したのがC重油という寒いと固まりやすい種類のもので、油回収船のポンプを詰まらせてしまいスムーズな回収が出来なかった事も原因として挙げられます。
事故後の流れ
この事故で特に大きな被害を受けたのは漁業関係者でした。
三菱石油が支払うことになった被害総額は約430億円とされています。そのうち養殖業者の網などの漁具の補償や、長期操業停止による損害補償として漁協へ支払われた金額は約134億7,000万円にのぼり、全体の3割以上を占めました。
重油の回収作業は年をまたぎ、翌年の3月末ごろまで続けられました。回収された重油の量は、総流出量の90%以上と考えられています。それでもしばらくの間は海岸の岩の隙間などから油がにじみ出るのが確認されました。
また、事故の翌年である1975年には、石油コンビナート等災害防止法が制定されました。
関連リンク
写真:水島臨海工業地帯
写真提供:岡山県
